夕日

西に日が傾いた街の中を、悟浄はくわえタバコで一人たらたらと歩いていた。

ちょっと出かけた帰りなのだが、今日取れた宿は町外れで、しかも高台。

窓から見える景色はなかなかのものだったし、静かな環境も悪くなかったけれど、今はその景観重視の立地もどうかと思えてきた。

街での買出しを済ませて最初に来た時はジープに乗っていたので楽だったが、街部からの距離は歩くとなると「いい散歩」を超える。

さらに『く』の字に曲がった長い上り坂とくれば、たるい以外のなにものでもなかった。

短くなったタバコを捨てて、軽くため息をつく。

(こっから宿までの坂が長えんだよなあ……)

今から上る道の先を見たところで人影を発見した。

(お?)

よく見知った後姿に、さっきまでのたるさも忘れて足早に近づいていく。

足音や気配に気付いたらしい先行者が立ち止まりこちらを向いた。

「あ、悟浄」

振り向いた瞬間は少し緊張していた顔が、その声と共にほころぶ。

その笑顔をもっと近くで見たくて、小走りで追いついた。

「悟浄も買い忘れ?」

訊いてきたも手に買い物袋を提げている。

さりげなく悟浄から遠い方に持ち替えたことや一人で出掛けたことから察するに、中身は訊かない方がいいだろう。

「ああ。ライターの石が切れちまってよ。『ちょっと行ってくる』っつったら、八戒が『じゃあ、ついでにお願いします』なんて言いやがって……
重えっつーの!」

頼まれたのは水の2リットルペットボトルを二本。
見かけたついでにと缶ビールまで買ってしまった自分の軽率さが恨めしい。

「確かに重そう……半分、持とうか?」

ぼやいた悟浄には笑いながら言ってくれたが、

「いや、いいよ。お前だって荷物、持ってんだし」

そう辞退した。

と並んで歩くのなら、荷物の重さも坂道も苦にはならないだろう。
我ながら現金なものだ。

西日の中、他愛ないことを話しつつ歩いていたら、数羽のカラスが鳴きながら頭上を飛んでいった。

「『カラスが鳴くからかーえろ』だね」

前半を歌いながら言ったが笑ったが、悟浄にはなんのことかわからなかった。

「なんなの? それ?」

「え? 知らない? 子供の頃、歌ったりしなかった?」

「してねえし、初耳」

「そう……これは替え歌みたいなものかな?
『木がくれの歌』っていう歌に『蛙が鳴くから帰ろう』ってフレーズがあってね。
夕方、カラスが鳴く頃には家に帰らなきゃってことで、『蛙』を『カラス』に替えて、歌いながら帰ったりしてたの」

「へえー」

「小さい頃に外で遊んでると、迎えに来るのは大抵お母さんなんだけど、うちのお母さんは働いてたから、私を迎えに来るのはいつもお兄ちゃんでね。
私が寂しそうにしてたら、お兄ちゃんがよく歌ってくれて……
一緒に歌ったりとかね」

「そういやは『兄ちゃんっ子』だったな」

タバコを取り出しながらからかうように言うと、

「うん。よく世話してもらったし……自分でもブラコンだったと思う」

はそう言って、照れたように笑った。

咥えたタバコに火を点ける。

一服目を吐き出すまでの無言の間に、悟浄は思い出していた。

幼い頃の自分の面倒を見てくれたのも兄だったことを。

「兄さんにしてみても、お前は可愛い妹だったんじゃね?」

自分は可愛げのないクソ生意気なガキだったけれど、のような妹だったなら、誰だって、どんな我侭でもきいてやりたくなるだろう。

「自分で言うのもなんだけどね、実はそうだったみたい。
年も離れてたしね」

そう答えるの西からの光に赤く染まった笑顔は綺麗で、越しに見える街の夕景も絵画のようで、遠い昔に憧れた何かを悟浄に思い出させた。

今となっては戻りたい場所も取り戻したいものもないけれど……

こういう気分を人は『郷愁』と呼ぶのだろうか……

黙っていると、らしくないことを口走ってしまいそうで、言葉を探した。

「俺だって、お前が妹だったら甘やかしてるぜ?」

「妹じゃなくたって、今だって、皆、私のこと甘やかしてくれてるじゃない」

「そうかぁ?」

「そうだよ。私、すごく、皆に甘えちゃってるもん」

「もっと、甘えてくれてもいいんだぜ? 『おぶってー』とかな」

「『抱っこしてー』とか?」

「そーそー。そういうの、大歓迎」

「絶っ対、頼まない」

そんなふうに軽口を重ねている間に、坂道も『く』の字の角を曲がり、あと少しになっていた。

背中から日を受けた影が二人の前に落ちている。

傾いた光によって長く伸ばされたその人型を、とりとめのないことを話しながら悟浄はなんとなく見ていた。

それぞれの主に忠実に動く、並んだ二つのシルエット。

ふと思いついて、さりげなく位置を調節した。

そして、そっと手を動かす。

の手の影に、自分のそれが重なるように……

そこにあるのは光と闇が悪戯に切り出した騙し絵。

虚構でしかないことはわかっていたけれど、そんな自分を自嘲したくもなるけれど、悪い光景ではなかった。

影だけを見れば、二人は買い物帰りの恋人同士のようだ。

もう少し、せめて宿に着くまでは、このまま幻想を見ていたい……

悟浄をそそのかした夕日が、その紅い髪を鮮やかに照らしていた。

end

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