素直

『素直さは愛すべき美点』

今時、そんなことを言うと、随分、時代錯誤なことを、と、思われてしまうかもしれない。
特に異変後のこんな世の中では『素直』という性質をさらけ出すことは難しく、それができる人間は少数派であると思われる。

そんな希少種が『三蔵一行』の五分の二を占めているというのは、ちょっと注意しておかねばならないことだと八戒は感じていた。

例えばそれは、ちょっとした勘違いに周囲が――主に悟浄だが、たまに三蔵も加わったりして、後者の場合、余計にタチが悪くなる――悪乗りしてからかわれるとかの、ふざけ合いや冗談といったレベルであり、からかわれる立場の悟空やも本気で怒ることなどない。

そこから生まれる笑い声は空気を和ませてくれるし、ある意味、コミュニケーションの取り方の一つとして容認されているようでもある。

しかし、あまりに素直な部分を見せられると、面白がったり微笑ましく感じたりばかりしているのもどうかという気になってくるのだ。

今も、走行中のジープの後部座席で、悟空とは『これ、美味いから、二、三本まとめて一気に食ってみ?』と悟浄にすすめられた菓子を、バカ正直にそのとおりに食べ、そのわさびプリッツの辛味に『あ゛〜〜!!』と、呻き声をあげている。

「悟浄、そんなことしちゃ可哀想ですよ。特に悟空はわさびが苦手なんですから」

「だからだろ? こういうところから苦手を克服させてやろうってしてんだよ」

「そんな必要ねえ。これ以上、そいつが食える物を増やしてどうする?」

「確かに、悟空に苦手な食べ物を克服されると、ますます食費が嵩んでしまいますねえ」

三人がそんな会話をしている間に、水筒の水を飲んだ二人はなんとか回復したらしい。

「あー、油断してたから結構、効いた〜!」

はそう言って笑っている。
しかし悟空は

「何すんだよ!?」

と、口を尖らせた。

「大体、なんで悟浄がそんなもん持ってんだよ?
普段、お菓子なんて食わないくせに!」

「昨日の宿の売店にゃ、ビールのつまみになりそうなもんがそれしか残ってなかったんだよ。
あ、お猿ちゃんはビールも飲めなかったな。苦ぇから」

そこから始まった悟空と悟浄の口喧嘩は、その後、三蔵のハリセンが炸裂するまで賑やかに続けられ、八戒はそれを笑いながらもどこか心配な気分になっていた。

(悟空もも、警戒心がなさすぎなんですよ)

相手が悟浄だからなのだろうが、いや、今までに何度も引っ掛けられたことがある悟浄だからこそ、少しくらい疑ってもよさそうなものだ。

さすがに見ず知らずの人間に対しては二人ともこんなではないということは知っているが、悟空は食べ物が絡む場合にはいささか注意力に欠けるし、は子供相手だとまるで無防備になってしまうことが多い。

まあ、悟空には野生の勘のようなものがあるし、にも長年の一人旅の間に培われたらしい直感力のようなものがあるので、危機的状況に陥ることなどそうそうはないのだが、今はこんな旅をしているのだ。
敵がどんな手を使ってくるかわからない以上、用心するに越したことはない。

特には体力にも戦闘力にも劣るし、女性ならではの心配もある。

(……一度、話しておいた方がいいかもしれませんね)

機会を見つけて、それとなく言ってみよう。

八戒はそう結論づけて、この考え事を一旦切り上げた。

その日の夕方。
野宿を覚悟していた一行は、森の中で泉の傍にある廃屋を見つけ、そこで夜を過ごすことに決めた。

おそらくは別荘だったのだろうと思われるその家の中は荒れていて台所も風呂も使えるような状態ではなかったが、風や夜露をしのげるだけマシというものだ。

八戒は水を汲んだり火をおこしたりと夕食の準備を始め、悟空と悟浄、は何か食べられるものはないかと探しに行った。
昨日の街である程度の買い出しは出来ていたのだが、やはり悟空の食欲を考えると手持ちの食料では心もとないのだ。

三蔵は室内でしばらくタバコをふかしていたが、泉に身体を洗いに行くと言って出て行った。
一瞬『働かざるもの食うべからず』という言葉が頭をよぎったが、街では三仏神のカードのおかげで経済的に困ることはないのだし、傍にいられても副流煙にさらされるだけなのでよしとした。

「ただいまー」

三蔵とほぼ入れ替わりにが戻ってきた。

レジ袋いっぱいに山菜を摘んできているのはさすがだと思う。
今日みたいに自然の中で食べられる物を探すことはよくあるけれど、は確実に何かを入手してくる。

今、手にしている山菜は既に洗われているようだし、きっと、洗いながら筋を取る等の下ごしらえもある程度はされているはずだ。
毎度のこととはいえ手際の良さに感心する。

「おかえりなさい。お疲れ様でした」

作業の手を止めてそうに笑顔を向けながら、八戒はふと思いついた。

悪戯を仕掛けるようで、少々後ろめたくもあるが、日中、考えていたことを伝えるいいチャンスかもしれない。

「丁度よかった。ちょっとお願いしたいことがあるんです」

さりげなく切り出すと、

「ん? なに?」

は思う壺にのってきた。

「この指、見てください」

言いながら自分の顔の高さに人差し指を立てると、は素直に見上げてくる。

「そのまま目を閉じて、ゆっくり三つ数えてください」

「いーち、にーぃ――」

は何の疑いも持たずに数え始め、八戒はが数え終わるのと同時にそれをの唇に触れさせた。

「――さーん、んっ?」

が驚いたように目を開ける。

目だけで、唇に当たっているものと八戒の顔を交互に見るその表情に、八戒は吹き出しそうになるのをかろうじて堪えた。

「何? これ?」

一歩下がって距離を置いたは、目の前にある物を指して訊く。

「寒天とみかんの缶詰で作った寒天ゼリーです。味見をしてもらおうと思って」

八戒が持ったスプーンの上には半透明の寒天の中にみかんの粒が入ったゼリー状のものがのっている。
八戒はそれをの唇に触れさせたのだった。

「じゃあ、普通に食べさせてよ」

は笑いながら八戒からスプーンを受け取り、ゼリーを口に運んだ。

「うん、美味しいよ」

そう感想を述べるは、あくまで味見が主な用事なのだと思っている。
しかし八戒にとってはここからが本題だった。

、素直なのはのいいところだと思いますが、あんまり素直すぎるのもどうかと思いますよ?
今だって、ゼリーだったから良かったものの、それ以外のものだったらどうするつもりなんです?」

「『それ以外』って……激辛チップスとか?」

菓子の名前を出したは、今の事もわさびプリッツの一件と同じように思っているらしい。
八戒はため息をつきたくなった。

「他人の前で無防備にしすぎるなってことです。
さっきの状況は、傍目には、あらぬ誤解を受けても仕方ない図に見えたと思いますよ?」

そこまで言ってやって初めて、は八戒の言わんとすることに気付いたらしい。
頬がうっすらと赤くなった。

そう、さっきのは、他人から見れば、まるでキスを待っているように見えたはずだ。

自分だって、魔がさしていれば、ゼリーではないものをの唇に触れさせていたかもしれない。

「だっ、だって、八戒があんなこと言うからだし……」

は恥ずかしさを誤魔化すように山菜を湯掻き始め、八戒も夕食の準備を再開させながら話し続けた。

「ええ。
だから、少しは人を疑うことを覚えた方がいいかもしれませんよって話です」

「う‥ん……
確かに……少なくとも、皆に対しては安心しきっちゃってるかもね……」

「でしょう?
以前、僕たちにそっくりな式神を作って攻撃させてきた妖怪もいましたし、またそういうことがないとも限りませんからね」

「うん。八戒の言うことも尤もだと思うし、私も、他の人にはそこまで無防備じゃないつもりだけど……」

「ええ」

短い相槌だけにしたのは続きがありそうだったからだ。

「ただ、人を疑うのって疲れるのよね。
昔、ひどい人間不信になって、周りが全部、敵みたいに思えてた時期があったんだけど、いつもピリピリしてて、気が休まんなくて、毎日、すごく疲れてた。
なんか、自分がどんどん嫌な人間になってくような気もしたし、辛くて仕方なかったの」

たぶん、家族を亡くした直後のことだろう。
一時的に声を失ったとも聞いている。
当時の精神的な負担がどれほどのものだったのかが窺い知れる。

「なんとかそれを乗り越えたと思ったら、今度はあんなことになって旅に出たでしょ?
それまで旅なんかしたことなかったし、自分が普通の状態じゃないから、緊張のしっぱなしだし、疑心暗鬼になっちゃうしで、やっぱり疲れてた」

「無理もありませんよ」

「そのうちにね、開き直ったっていうか、面倒くさくなったっていうか……
『もう、騙されるんなら騙されてもいいや』って気分になっちゃったの」

そう言って苦笑するにつられるように八戒もくすりと笑ってしまった。

「やっぱり、どんな時だって、他人を信じられないような人間にはなりたくないなって思うし、性格的に、私にはそっちの方が向いてるみたい」

「確かに向き不向きはありますね」

「でも、うん、気をつける。
悪い人ばかりじゃないけど、いい人ばかりでもないもんね。
言ってくれてありがとう」

はそう言ってにっこりと笑い、八戒も笑顔を返した。

が――

「でもさ、気をつけなきゃいけないのは私だけじゃないと思うんだけど?」

は話の矛先を別に向けてきた。

「まあ、そうですね。
悟空も素直さではに負けてませんし、悟浄もあれで結構、お人好しなとこがありますし」

「でしょ? ああ、そこいくと、八戒は一番、騙されなさそう」

「僕ですか? 三蔵じゃなく?」

「二人とも『素直』って感じじゃないのは同じだけど……
三蔵はさ、根が真面目なとこあるし、立場上、人の話を聞かなきゃいけないことだってあるでしょ?
でも八戒は人当たりがいいから敵もつくりにくいだろうし、なんか、こう、心理戦に長けてそう?」

「……どうなんでしょうねえ」

「あ、ほら! そういうとこ! 話のかわし方が上手くて、考えが読みづらいの」

「……なんだか、『腹黒い』って言われてるような気がします……」

「違うよ! そんなつもりじゃなくて――」

は慌てて否定して、必死でフォローをいれようとし、その姿に八戒はの人の好さをつくづくと感じた。

にそんなつもりがなかったことはわかっていたし、八戒としても半分、冗談で言ったことだったのだ。
なのにはそれを真に受けて慌てている。

自分に腹黒い部分があるのは事実だ。
本音をさらけ出すのもあまり得意ではない。

にこんな話をしたのは心配に思ったからだが、もしかすると、自分には出来ないことをさらっとやってのける人間に対してのやっかみのようなものも混じっていたのではないだろうか?

『素直さは愛すべき美点』

素直さを出せる人物は、それだけ強いのかもしれない。

しかし、場合によっては、隠しておいた方がいい、あるいは、隠しておかねばならない本音というものがあるのも事実。

、気付いてないでしょう?)

今の自分は、忘れられない過去と今の間で揺れている。

そんなどっちつかずの状態で本心を明かすことなどできない。

だが、もし、いつか、気持ちの整理が出来る日が来るとしたら……

――僕が自分の気持ちに素直になれば、困るのはあなたですよ?――

end

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