意味

山門から長く高く続く石段を前に、は酷く憂鬱な気分になっていた。

上るのが嫌なわけではない。
この階段を上って、その先の寺に泊めてもらわねば、野宿になってしまう。
岩石の多い山なので水場を探すのにも苦労しそうだし、山の夜は冷えるので野宿は避けたい。
屋根のあるところで眠るためには仕方のない苦労だ。

の気を重くしているのは山門の横に大きく掲げられた『女人禁制』の文字だった。

こんな岩山に作られている寺は修行寺であることが多く、その場合、一般人や女の立ち入りを禁じることもよくあることだ。

だが……

「……本当に行くの……?」

既に階段を上り始めた男たちには思わずそう声を掛けてしまい、振り返った四人が口々に言う。

「行かなきゃ野宿になるじゃん」

「まあ、お前の気が乗らないのもわかるけどよ」

「大丈夫ですよ。
対策もちゃんと考えたんですし、一晩だけのことです」

「あきらめて来い」

はため息をついて、仕方なく足を動かし始めた。

自分一人で野宿するという意見は速攻で却下された。
自分の我侭で皆まで野宿させてしまうわけにはいかない。
もう腹をくくるしかなかった。

やがて石段を上りきった五人は寺に一晩の宿泊を請い、三蔵法師の一行だと知った寺の者は喜んで受け入れてくれた。

が、対応をした僧侶はやはり、を見ると戸惑うような表情を見せた。

「あの、噂では三蔵様のお供の方は三人と聞いていたのですが、そちらの方も?」

は半ばヤケクソで開き直った。

「はい、最近、妖怪に襲われていたところを三蔵様ご一行に助けていただいて、お供に加えていただきました」

できるだけ低めの声で答え、更に続けた。

「よく女に間違われるんですが男です。あ、なんなら脱ぎましょうか?」

シャツの裾に手を掛けてのセリフは一か八かの賭けでもあったが、

「あ、いえ! そこまでしていただかなくても!」

僧侶は慌てたように断り、一行は賭けに勝った。

そう、四人は、女人禁制の寺に入るために、に男のふりをさせることにしたのだ。

は普段からトップスにはメンズの服を着ているし、山門をくぐる前に晒しを巻いて胸はつぶしてある。

相手が『三蔵法師様のお供』である以上強くは言えないだろうことも、こちらから『脱ぐ』と言いだせばそこまではさせないであろうことも計算済みだった。

『失礼致しました』と頭を下げる僧侶に八戒が言う。

「無理もありませんよ。
彼にはちょっと特殊な事情がありましてね。
我々も最初は女性かと思いましたから」

「『特殊な事情』と申しますと……?」

「私の家系は代々、女が多い女系家族でして……」

事前に決めていた設定どおりに説明を始めたは必死だった。
ここで信用してもらわないと野宿になるばかりか、『玄奘三蔵』の名に泥を塗ることにもなりかねない。

八戒が考えた設定はこうだった。

・女系家族の家で、男の子が生まれては夭逝することが続いた。
・しかし女の子は無事に育つ。
・次に生まれた男の子である『彼』には女名前が付けられ、女の子として育てられた。
・そのせいで、どうにも男らしさに欠ける男になってしまった。
・子供の頃に病弱だったためか、身体も大きく育つことはなく、小柄なせいか声も高い。
・男としての自分を取り戻すために、三蔵法師の供になった。

『無理に男らしくしようとすれば却ってボロが出ることもあるかもしれない。ならば、もっともらしい理由をでっちあげ、女っぽい男として認知してもらったほうが安全だ』というのが八戒の弁だった。

果たして、の話す身の上話を聞いた僧侶は『昔からたまに聞く話』と納得し、八戒の策略は成功した。

髪は後ろで一つ束ねただけだったが、悟浄の長髪の方がよっぽど目立つし、そもそも『三蔵法師様』が金髪だったり女顔だったりするので、それも良い隠れ蓑になったようだ。

内心、ホッと胸を撫で下ろすの後ろで、悟空と悟浄は笑いを堪えるのに苦労したが、こうして、今夜の宿はなんとか確保できたのだった。

寺院内における『三蔵法師』の肩書きの効果は絶大だった。

出会うどの僧侶も、三蔵を最高僧として崇めるのはもちろん、お供である四人にも丁寧に接してくれた。

三蔵は個人用の豪華な客間に通され、三蔵以外の四人に用意された大部屋も平均的なつくりではあったが、きちんと整えられ居心地は良い。

食事は当然、精進料理だが、一行に出されたものは品数も多く、見た目も味も悪くなかった。

説法をせがまれるという煩わしさや、禁を破っているという後ろめたさがなければ、もっと寛げていただろう――

部屋に一人になったは、寺に入ってからのことをそんなふうに思い返していた。

悟空、悟浄、八戒の三人は風呂に行った。

一緒に入るわけにはいかないし、別に入っても寺の者たちに余計な疑念を持たせないとも限らない。
風呂好きのもさすがに入浴はあきらめざるを得なかった。

『湯の用意が出来た』と言いにきた僧侶に『自分は背中に負った傷がまだ完全には塞がっていないので入浴は遠慮する』と告げ、桶に湯を貰った。
『妖怪に襲われていたところを助けてもらった縁で供になった』という設定がここでも活かされたわけだ。

室内にあったついたてを部屋の隅に動かし、その陰で服を脱いで手早く身体を拭いた。

『ケガをしている』という前提があるので、万一、服と一緒に晒しがあるのを見られたとしても『包帯代わりに巻いている』という言い訳ができる。
は八戒の如才なさに改めて感心した。

そして、同時に、女の身の不便さを再確認させられるのも仕方の無いことだった。

(……男に生まれてれば良かったのにな……)

男だったなら、この寺にも堂々と入れていたし、今頃はきっと、皆と一緒にお風呂に入っていただろう。
女ならでは苦労もなく、もう少し気楽に旅が出来ていたはずだ。

男なら、腕力も体力も足の速さも今よりはずっとマシなはずで、結果として戦闘力も上に違いない。
その分、皆への負担も減るし、もっと皆の役に立てただろう……

不毛な考え事にため息が漏れる。

こんなことを考えていてもどうしようもないことはわかっている。
自分は女で、それは変えられないのだから。

(……何か、意味があるのかな?)

『女』である自分が皆と出会ったこと。
一緒に旅をしていること。

(そうだったらいいな)

いつか、自分の性別が役に立つ時がくればいいと思う。

その時のためにも、これからも今までどおり、自分にできることをやっていこう。

(うん。そうしよう!)

そう頷くの身体と頭はずいぶんすっきりしていた。

「あー、さっぱりしたぁ……」

宿のユニットバスから出て、は無意識のうちにそう声に出していた。

昨日、泊めて貰った寺では入浴できなかった。

女であることを隠していたのだから仕方ないし、野宿を避けられて助かったのも事実だ。

八戒の設定捏造やの忍耐の甲斐あって、詐称を見破られることはなく寺を後にすることが出来たが、としては、よくしてもらった人たちを騙したという罪悪感は否めなかった。

しかし、寺から遠ざかるジープの上で顔を曇らせているに、四人は悪びれもせずに言ったのだ。

『バレなかったんだから、もういいじゃん』

『いささか乱暴ではありますけど、女性の立ち入りを許さない理由が「修行の妨げになる」ということでしたら、「女だと思われなければ問題ない」という解釈も可能ですよ』

『だいたい、最高僧の三蔵サマが、妖怪殺しまくってんだぜ?
女人禁制を無視するくれぇ、どーってことねえって』

『旅人に慈悲を施すのも寺の役目の一つだ』

悩むのがバカらしくなってしまったは、もう気にするのはやめ、感謝だけすることにしたのだった。

幸い、夕方には町に着き、宿も確保できた。
ゆっくりとお風呂タイムを楽しんで、やっと、昨日からの諸々を洗い流せた気分だ。

昨日は、身体は拭いたけど洗髪は出来なかった。
洗って、ドライヤーで乾かした髪のサラサラした感触が指先に心地良い。

爽快感に満足しながら、水分を補給すべく備え付け冷蔵庫を開けた。

(あれ?)

そこに入れておいたはずの物が見当たらない。

「ねえ、ミネラルウォーターのペットボトル知らない?」

同室の三蔵に訊くと、

「ここにある」

法衣を脱いでベッドに腰掛けている三蔵は読んでいた新聞を畳みながら答えた。

「飲んだの?」

「少しな」

ベッドの傍まで寄って手にとってみるとボトルの水は四分の一ほど減っていた。

「十分、残ってるからいいよ」

全部飲まれていたなら怒っているけど、これだけ残っていれば構わない。

は三蔵とほぼ向かい合う形で自分のベッドに腰掛けてボトルを呷り、乾いた喉を潤した。

「昨日、改めて思ったけど、女って不便」

まだ少し中身が残ってるペットボトルのキャップを締めながら言ってみた。
ちょっとお喋りしたい気分だった。

「不便か?」

そう訊いてきた三蔵は付き合ってくれるらしい。

「不便だよ。そりゃ野宿じゃなかったのは良かったけど、昨日は、ずっと気が気じゃなかったのよ?」

「その割りには、堂々と嘘ついてたじゃねえか」

「必死だったの! もしバレたら、皆まで追い出されると思ったし……
男性用のトイレに入ったのなんて生まれて初めてだったんだからね!?」

「まあ、そりゃそうだろうな」

「『男に生まれてれば良かったのに』って本気で思ったもん」

そのの言葉に返された三蔵の声は呟き程度のボリュームで、にはよく聞こえなかった。

「ん? なんて言ったの?」

「『お前が男だったら面白くねえ』っつったんだ」

「え? それ、どういう意味?」

三蔵には珍しい、まるで悟浄みたいな言い方に、はつい訊いてしまった。

「知りたいか?」

言った三蔵の口角がニヤリといった具合に上がる。

は瞬間的に、自分が墓穴を掘る一言を発してしまったのだと悟ったが、遅かった。

「いや、遠慮――」

言い終わる前に、はベッドに押し倒されていた。

「男を組み敷いたってつまらねえだろ?」

(やっぱり、この展開ー!?)

その後、はその言葉の意味を体感させられることになった。

そんなことでは『女としての自分が役に立っている』なんて実感は持てなかったけれど、なんとなく、『まあ、いいか』なんて思ってしまったのは惚れた弱みだろうか?

(これも『今の自分に出来ること』の一つなのかもね……)

そう思いながら、は身体の力を抜いた。

end

Postscript

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