忘れない

大きなあくびをして、は目尻に溜まった涙を指で拭った。
退屈だけど、何かをする気分にはなれない。

当初の予定ではジープに乗って移動をしているはずの頃なのに、がまだベッドに寝ているのには理由が二つあった。

一つは天気。
昨日の午後から崩れがちになった空は、今も雨を降らせている。

そしてもう一つは、の身体が起き上がれる状態ではないという事だった。

(なんで、こうなっちゃったのかしらね……?)

はため息をつきながら、ここ数日のことを思い返した。

この町に着いてすぐ、偶然、昔の知り合いに会った三蔵は、その人の頼みを断りきれずに、彼のお寺の法要に出席することになった。

法要が行われる三日間、自分たちはこの宿に滞在し、本当は、今日は宿を引き払って三蔵を迎えに行き、そのまま西へと出発するはずだった。

事態が急展開を迎えたのは、昨夜のこと――

昨夜から今日にかけてのことを思い出し、の顔はカーッと熱くなった。

急に身体に力が入らなくなって、熱くて、苦しくて、怪しげな薬を飲まされたのだと教えられたけど、病院に行くのは嫌で、ただ耐えていた。

(だって、最初は夢だと思ってたんだもんっ!)

穴があったら入りたい気分でシーツを頭から被ったは、自分自身にそう言い訳をした。

いるはずのない三蔵が目の前に現れて、夢だと思った。
その後のことも夢だと――薬のせいで恥ずかしい夢を見ているのだと――思っていた。

だから、目が覚めた時は混乱した。

テーブルに座った三蔵がタバコを吸いながら新聞を広げていて、ベッドの中の自分は服を着ていなくて、跡のついた身体はだるい上に疼痛があって……
雨が降っているのに三蔵の機嫌があまり悪くないということは、つまり、そういう事なのだ。

更に、眠っている間にベッドシーツの交換は済んでいるし、身体も拭かれていたし、食事には行けないことを見越してテーブルの上にはサンドイッチだのインスタントのカップスープだの、いつでも手軽に食べられるものが用意されていた。

状況が呑み込めずに軽くパニクっているに、三蔵は、宿の人間がベッドメイクをしている間は、自分がお前を抱えてユニットバスの中にいたから見られたと心配することはない、と告げ、その後、昼食に出かけていった。
それらの至れり尽くせりさが逆にいたたまれない。

恥ずかしさにベッドの上でゴロゴロと寝返りを繰り返した身体は目が覚めた時に比べるとだいぶ楽になっているけれど、まだ、だるさが残っている。
それが、また、恥ずかしい。

でも――

気持ちを落ち着けようと、深呼吸をしているうちに気付いた。

今、自分がこんな状態だから、恥ずかしいと思ってしまうけれど、どれもこれも、全部、皆の優しさなのだ。

三蔵がいない間、寂しくて寂しくてたまらなかった。
普段どおりにしていたつもりだったけど、たぶん、皆もわかっていたに違いない。

悟浄は散歩に付き合ってくれて、その中で花の綺麗な公園に連れて行ってくれた。

悟空は雷を怖がる自分の傍にいて、元気づけてくれた。

八戒は、薬を飲まされて苦しんでいる自分をいろいろ気遣ってくれたし、夜にジープを走らせて三蔵を迎えに行ってくれた。

そして、三蔵は、予定より早く戻ってきて――方法はともかく――自分を助けてくれた。

今回だけの話ではない。

自分は、みんなの優しさに包まれて、支えられて、旅を続けているのだ。

自分にとって、三蔵の存在がどれだけ大きいのか、皆の存在がどれだけ有り難いのかを思い知らされた。

甘えてばかりいてはいけないと思う。
少しでも何かの形で返していきたいと思う。

恥ずかしい思いはしたけれど、その部分の記憶は消去してしまいたいけれど、今のこの気持ちは、絶対に忘れない。

end

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