お風呂
湯船の中で手足を伸ばして、は大きく息を吐いた。
「ん〜〜! 気持ちいい〜」
今日の宿には温泉が引いてあった。
(やっぱり露天はいいなぁ……)
他の宿泊客も少ないようで貸切状態のその露天風呂は、宿の自慢だというだけあって広く、温泉の中にも島のように大きな岩が配置されていたり、打たせ湯もあったりして、なかなかいい感じだ。
月のない夜だったが、その分、星がたくさん見える。
せっかくだからと湯船のほぼ中央にある一番大きな岩のところに行ってみた。
幅はが両手を広げたよりも広く、水面から出ている部分は立ち上がったの胸の高さまである。
湯で洗われている表面は意外に滑らかでもたれるのにもってこいだった。
その岩にもたれて肩まで浸かると自然にため息が出た。
湯加減も丁度いいし、はすっかりこの露天風呂が気に入ってしまっていた。
……この時までは……
しばらく浸かっていい具合に温まり、歌でも歌いたい気分になっていると、人の声が聞こえた。
しかも知った声だ。
は慌てて岩の陰に身を隠した。
「うっわー! 広え〜!」
「だからって泳ぐんじゃねえぞ? 猿」
「いい風情ですねえ」
声の主は、明らかに悟空、悟浄、八戒の三人で、大きな水音は恐らく悟空が飛び込んだのだろう。
「こらっ! しぶきがかかったろーが!」
「いいじゃん! 入りゃどうせ濡れんだし」
「まあ、他に人がいないから良かったですけど、あまり騒ぐと苦情が出ますよ?」
三人が温泉に入った時の水面の揺れはのいる辺りにも伝わってきた。
仕切りとかがあるわけではなさそうだ。
(嘘っ! ここって混浴だったの? 聞いてない〜っ!!)
場所を訊いた宿の人も何も言わなかったし、脱衣所も男女別になっていた。
屋内の女風呂から引き戸を開けて出れば、この露天風呂があったのだ。
(あ〜! 早くあがっておけば良かった!!)
しかし、今さら後悔しても後の祭りなのだった。
(でも、三人ともそんなに長風呂ってほどじゃなかったと思うし……)
はこのまま岩陰に身を隠して、三人があがるのを待つことにしたが、いっこうにその気配はなかった。
まさか覗いてみるわけにもいかないが、聞こえる音や声からすると、悟空は泳いだり、岩に登ったりとはしゃいでいるようだし、悟浄と八戒はどうやらお銚子を持ち込んで一杯やっているようだ。
(……だんだん、頭、ぼうっとしてきちゃった……)
十分に温まっていたところに、身を隠そうという強い意識のためうっかり肩まで浸かってしまっているのだから、のぼせようともいうものだ。
声を掛けて、『ちょっと後ろを向いていてくれ』と頼めば、聞いてくれない三人ではないだろうが、茹で上がった頭にはそこまでの思考能力はなかった。
それどころか意識さえ遠のいていきそうで、一瞬、頭を支える力を失った首がガクンと垂れ、顔で水面を打ってしまった。
そのお陰で気を取り戻すことができたのだが、立ててしまった音は三人にも聞こえてしまったようだ。
「なんか音がしたな?」
「しましたね」
「あ、あそこの岩んとこ、誰かいるみてえ」
(気付かれた!!)
もう、後は三人がこっちに来ないことを祈るしかできないだった。
「そっからは見えねえ? 俺んとこからはちょっとだけ見えるよ」
「先客がいたのか。全っ然、気付かんかった」
「騒いでしまってすみませんでした。僕たちはもうあがりますから」
最後の八戒の言葉は明らかに先客である自分に向けられたものだ。
「……いぃえぇ……」
咄嗟に出たのは『いえ』と『いいえ』が混じったような変な返事だった。
慌てたのと、のぼせてしまっていることで、うわずった掠れた声になってしまったが、それが幸いした。
「え? 女の人!? ここって混浴だったの?」
「……でも年寄りじゃーなー……どうりで長湯なわけだ」
「失礼ですよ! 悟浄! ほら、二人とも、もうあがりますよ」
「へいへい」
「あー、楽しかった!」
「では、お先に失礼します。どうぞ、ごゆっくりなさってください」
……その後、三人が屋内に入った引き戸の閉まる音を聞いてから、やっとは、その場を離れることができた。
クラクラの頭とフラフラの身体で、なんとか脱衣所まで辿り着いたが、服を着ている途中で力尽き、意識を失ってしまったのだった。
就寝前の退屈な時間を部屋で過ごしていた悟空、悟浄、八戒の三人は、廊下が騒がしくなった気配を感じて、そちらに意識を向けた。
「なんだ?」
「さあ?」
いち早くドアから廊下を覗いた八戒が奇妙そうな顔で部屋の中に向き直る。
「あのー、なんだか、三蔵たちの部屋に人が出入りしてるみたいなんですが……」
「三蔵たちの部屋に? どうしたんだろ?」
「なぁんか、面白いことでも起こってんのかぁ?」
「行ってみますか?」
純粋に不思議に思っている悟空と好奇心丸出しの顔の悟浄、保育士として状況を把握しておきたい八戒は、三蔵との部屋に向かった。
出て行く宿の人間と入れ替わりで入った部屋で、まず目についたのは呆れ顔の三蔵だった。
三蔵の視線を辿ればベッドに行き着く。
そこに寝ているは赤い顔で苦しそうな息をし、宿の女将がその頭の下に水枕を置いているところだった。
「、どうしたんだ?」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「一体、何事なんです?」
三人の口々の問いかけに三蔵がため息混じりに答える。
「……長湯のしすぎで、のぼせて、脱衣所でひっくり返ってたそうだ」
をよく見れば、顔だけでなく、手も足も、見えている部分の肌はすべて赤い。
取り急ぎの手当てを終えた女将がこちらに向き直り、
「手前どもの説明不足で、露天の方は混浴だってご存じなかったんですね。
男性のお客様が入ってみえて、出るに出られなくなってしまわれたようで……
本当に申し訳ないことをいたしました」
そう、頭を下げた。
それぞれに思い当たることがある三人はくるりと背を向けて屈みこむ。
「……ひょっとしてさぁ……さっきのって……」
言いながら悟空の顔はみるみる赤くなっていき、
「あれ、婆さんじゃなかったのか!?」
悟浄は千載一遇のチャンスを逃した事に気付き、少々うろたえ
「悟空のところからは見えてたんじゃないんですか?」
「見えたって言っても、頭がちょっとだけだったし」
「声、全然違ってたよな?」
「でも、タイミング的にいって、『他の男性客』っていうのが僕たちだって可能性は高いですよ?」
八戒は対策を考えるべく、冷静に状況を分析していた。
「ほう……」
頭をくっつけるようにしてヒソヒソと話している三人の背後から低い声が響く。
振り返る三人の目に映ったのは、逆光に縁取られた三蔵の姿。
女将はもう出て行ったようで、部屋にいるのは自分たちだけだった。
「……その話、詳しく聞かせてもらおうか」
殺気立つほどの不機嫌なオーラを発するその手には銃まで握られていて……
「三蔵! ちょっと待て! 落ち着け!!」
「見てない! なんっっも見てない!!」
「そうです! 不幸な偶然の事故ですっ!!」
「煩え! 下手な言い訳してんじゃねえよっ!!」
『詳しく聞かせてもらおうか』とは言ったものの、その実、聞く耳は持ってないようだ。
ガウン! ガウン!!
放たれた銃弾が壁に穴をあける。
「「「 うわあぁっっ!!! 」」」
…………逃げ惑う三人に幸あれ――
end