思い出
夕立が降ったお陰でいつもより少し涼しい夜、屋外では微風に火薬臭と少しの煙が混じっていた。
「うっわー! すっげェ!! 火花、3メートルくらい上がってんじゃねえ?」
「あ! 色が変わった!! きれ〜い!」
「二人とも嬉しそうですねえ」
「やっぱ、これは浴衣でも着て欲しいシチュエーションだな」
買出し中、サマーセールとやらのスピードくじでビニールバック入りの花火セットが当たった。
日中から楽しみにしていたらしい悟空とは、最初に火をつけた噴水花火で、もうすっかりテンションがあがっている。
今夜の宿はコテージで、他の棟とは少し間隔が開いているので少々騒いでも大丈夫。
ちゃんと宿側にも確認をとって、バケツに水も用意して、夏ならではの風流を堪能中。
「えっとー! じゃあ、次はコレ! この紐、持てばいいの?」
「ああ、それは手に持ってじゃできないよ。何か棒の先にくくりつけなきゃ」
「棒? って、でも、そんなんどこに……」
「お前、持ってんじゃん」
「そうですね。自在に長さが調節できるなんて、この花火にうってつけですよ」
「えぇ? 如意棒のことぉ?」
はしゃいでいるのは主にと悟空だったが、悟浄と八戒もまんざら楽しくないわけではなさそうだ。
結局、悟空の如意棒の先につけられた花火は回りながら火花を噴き出し、最後に提灯になった。
「きゃははっ! なんだ、これ?」
「ンな事も知らねーのかよ? 提灯だ。ちょーちん」
「この手の花火では王道ですよね」
他にも入っていた変り種の花火を一通り済ませてから、スパークだの噴出花火だのススキ花火だのの手持ち花火をそれぞれ手にして火を点けた。
「ねえ! 三蔵もこっち来て一緒にしようよ」
は振り返って三蔵に声を掛けた。
三蔵は最初からずっと部屋の中で、開けた窓辺に立って外の様子を見ているだけだったのだ。
「だから、俺はしねえっつってんだろうが」
タバコの煙を吐きながら答える三蔵は口調も表情も本当に面倒臭そうで、は溜め息をついた。
(みんなで花火をするのが楽しみだったんだけどな……)
「ー、見て見てー!
このネズミ花火、色が着いてんだぜー」
呼ばれて見ると悟空はピンク色の火花を出しながらクルクルと動くネズミ花火を追いかけて走り回っている。
「悟空! ダメよ!! 危ない! それ、最後には破裂するんだから!!」
「ははっ、放っとけ、放っとけ」
面白がっている悟浄が手にしているものを見て更に慌てる。
「悟浄!! それ手持ちの噴出し花火じゃないって!
細いけど打ち上げだよ!! 手に持ってちゃ危ない!!」
「あははは。『遊び方』のところに『してはいけません』ってバツマークがついてる遊び方ばかりですね」
「八戒からも言ってやってよ」
「言ってきく人たちじゃありませんよ。
それより、定番ですが線香花火っていいですねえ。
こより状のものもいいですが、この藁の先に火薬がついてるのも鄙びた風情があってなかなか……これ『スボ手』って言うんですよ」
はそれ以上、諌めるのをあきらめた。少々の火傷くらいでどうこうなるような二人ではないし、三者三様でそれなりに楽しんでいるらしいのだ。
せめて火の始末にだけは気をつけようと防火の意識を強くして、自分も楽しもうと次の花火に火を点けた。
(三蔵のとこからも見えるかな?)
一緒に遊んでみたかったけど、外に連れ出すこともできなかった。
建物の近くではできないけれど、遠目からでもこのきれいな光を見て欲しかった。
翌日の深夜、野宿の森の中で、は静かにこっそりとジープから離れた。
夕食の時に水を汲んだ川岸で裸足になり、辺りの気配に注意を向けながら足と手を洗う。
本当は全身を洗いたいところだけれど、服を脱がないまま濡らしたタオルで拭くだけにしておいた。
一通りの作業を済ませたところで川岸の大きな岩に座って夜空を見上げる。
(あれー? 当てが外れたかなあ……)
遮るもののない川の上空は星が降るようだ。
「こんなに星も綺麗なのにね……」
少しがっかりした気分で呟いた時
「星がなんだって?」
不機嫌そうな声が聞こえた。振り向くと声の主が立っている。
「三蔵……いつからいたの?」
「お前が靴を脱いだあたりからだ」
「って、最初からじゃない。全然、気づかなかった」
「妖気どころか人の気配もわからねえような鈍感のくせして、一人でフラフラしてんじゃねえよ」
「ごめんなさい……今日も汗かいたし、ちょっとさっぱりしたかったの」
「もういい。さっさと戻るぞ」
溜め息まじりの三蔵に座ったまま言ってみる。
「ねえ、せっかくだから、もうちょっとゆっくりしない?」
「あん?」
「星も綺麗だしさ、まだ寝付けそうにないんだもん」
三蔵は『チッ』と舌打ちをしたが、傍によってきた。
「……少しだけだぞ」
そう言って腰から下を岩に寄りかからせ、タバコを取り出す。
「うん」
はにっこりと頷いて言った。
「ね、三蔵。ライター貸して?」
「……何に使うんだよ?」
「いいから貸して」
には珍しい強引さを不思議に思いながらも、三蔵は、火を点けたばかりでまだしまっていなかったライターを渡した。
「ありがと」
言いながら受け取ったが、身体を拭くのに使ったタオルの影から何かを取り出した。
それはビニール袋に入れられた数本の線香花火。
「お前、そんなもん持って来てやがったのか?」
呆れた声の三蔵には
「昨日の残り。ね、一緒にしよ?」
と、誘いかけた。
「やらねえよ。昨日もそう言っただろうが」
三蔵が即答した拒絶の言葉をは聞き流して、袋から花火を二本取り出した。
「ほら、三蔵も持って! 持つだけでいいから!」
「……お前、人の話、聞いてんのか?」
眉間に皺を寄せた三蔵に
「…………そんなにイヤ……?」
と、訊いてきたの声は小さくて寂しそうで、その表情は悲しそうで……
(なんだってそんなにコレに拘るんだよ)
心の中そう溜め息をついた三蔵はしぶしぶ一本を手に取った。
「……持つだけでいいんだろ?」
途端にの顔が明るくなる。
「うん! じゃ、火、点けるね」
嬉しそうに笑ったが花火の先を火で炙ると、岩の上にあたたかなオレンジ色の火花が弾けだす。
「花火で遊ぶのなんて子供の時以来だから、三蔵とも一緒にしたかったの」
昨日は三蔵だけ部屋の中だったから寂しかった。
だから、一番小さくて音も静かな線香花火を抜き取っておいた。
今夜も最初から、三蔵が追いかけて来てくれることを期待していた。
……言うと叱られそうだから言わないけど。
不承不承に付き合ってくれた三蔵も、一旦、火を点けてしまえばその顔はまんざらでもなさそうに見えて、は嬉しかった。
昨夜、花火をしながら思い出したことがあった。
五、六歳の頃だった。
花火で遊んでいたら、持っていた花火の火のついた火薬の塊が、いきなり足の上に落ちてきたことがあった。
が熱いと思う前に母がそれを素手で払いのけてくれた。
落ちたのがたまたまサンダルの上だったからは平気だったのだけれど、母は手に火傷をしてしまった。
それでも母は『が無事で良かった』と笑ってくれた。
女手一つで自分たち兄妹を育ててくれた母は忙しくて、会いたい時に会えなくて寂しかったりもしたけれど、そういう時はその時の事を思い出せば、大丈夫だと、お母さんは私のことを大好きなんだと、安心できた。
花火にまつわる大切な大切な思い出。
(たぶん今夜のことも、何年経っても懐かしく思い出すんだろうな……)
こんな、なんでもないことが、きっと大切な思い出になる。
花火の先でだんだん大きくなっていく火の玉を見ながら、は、このささやかだけれど倖せな気持ちを噛み締めていた。
end