薬

が風邪をひいた。

正確には、先に風邪をひいていた三蔵を看病しているうちにうつってしまったのだった。

昨日の朝あたりから咳をするようになり、野宿の間に熱発した。
今日、昼頃に着いた小さな村には残念ながら常駐の医者はなく、はただひたすらに安静にしておくことしかできなかった。

(部屋が五つあって良かった……)

熱でぼんやりした頭で考える。

あの三蔵が寝込んだ風邪だ。
大部屋だったりしたら、他の誰かにまたうつしてしまうかもしれない。

眠った方がいいのだろうが、一旦出始めるとなかなか止まらない咳がそれを許してくれない。

ため息をついて寝返りをうったところで、部屋のドアがノックされた。

「はい?」

返事をすると悟浄が顔を覗かせた。

「具合はどうだ? いいモン作ってきてやったぞ」

「何?」

言いながら身体を起こす。

「ジャーン! 悟浄特製、スペシャル玉子酒だ!」

差し出されたコップには柔らかいクリーム色の液体が注がれていた。

「……わざわざ作ってくれたの? ……ありがとう」

「やっぱ、風邪ひいた時には玉子酒だろ? 飲んでみな?」

「うん……」

熱くした酒はどちらかというと苦手なのだが……

「おいしい」

一口飲んでみると、思ったよりも飲みやすかった。

「だろ? これ飲みゃぁ、明日には治ってるぜ」

身体も暖かくなったし、アルコールが入った方が眠りやすいかもしれない。

「……ありがとう、悟浄」

空になったコップを返す。

「後はあったかくして、ゆっくり寝てな」

その言葉とウインクを一つ残して悟浄は部屋を出て行き、横になると、すぐに眠気がやってきた。

(悟浄の玉子酒のおかげかな……?)

気持ちまであったかくなったようで、スーッと眠りに吸い込まれていった。

どれくらい眠っていたのだろう? ふと目覚めるとベッドサイドに悟空がいた。
逆向きに椅子にまたがって、背もたれの部分に腕を組んで座っている。

「あ、目ぇ覚めた?」

「……ついててくれたの……?」

「んー、つーか、あげたいもんがあってさ。来てみたら眠ってたから……
起こしちゃマズイかな? って」

「それで、待ってたの? ごめんね」

「あっ、でも、そんな長く待ってたわけじゃねえし……
って、そうそう、これを持ってきたんだ!」

悟空がテーブルの上に置かれていた湯呑みを取っている間に、は身体を起こした。

「はい、コレ! ちょっと冷めちゃったけど」

「……これ、何?」

湯呑みの中の液体は黒く、なんともいえない臭いを発していた。

「宿のおばさんに『風邪ひいてる人には何食べさせたらいいかな?』って訊いたら、『我が家秘伝の漢方薬だ』って、作ってくれたんだ。
ちょっと臭いかもしんねえけどさ、効きそうじゃん?」

「漢方薬?」

「うん、『飲んだ後の口直しに』ってみかんもくれたんだ。
にもらったんだからって食うの我慢してたんだぜ」

は受け取った湯呑みに目を落とした。

見た目といい、臭いといい、口にするのはためらわれたが、作ったのは悟空ではないのだし、悟空と宿のおかみさんの厚意だ。

口直しまで用意されているというその味が怖かったが『良薬、口に苦し』とも言うではないか。

「…………」

は覚悟を決めて、一気に飲み干した。

「んあ゛〜〜っっ!!」

口に残った苦さと臭いに顔が歪む。

「ああっ! ほら、みかん! みかん!!」

悟空はの手にあった湯呑みをひったくって、剥いたみかんを手渡してくれた。
小分けにした房を次々と口に放り込むと、柑橘系の爽やかな香りと甘さが薬の後味を消してくれる。

「……そんなに不味かった?」

「……はっきり言って、凄い味だった……」

認めたに悟空も苦笑いを浮かべる。

「でも、本当に効きそう……みかんは甘くて美味しいし。
ありがとう、悟空」

「良かったぁ」

嬉しそうに笑って悟空は椅子から立ち上がった。

「じゃあ、俺、おばさんに湯呑み返してくるから」

「うん。よくお礼を言っておいてね。
あっ、それから、しばらくこの部屋にいたんだから、うつらないようにちゃんとうがいして手も洗ってね」

「わかった」

そして悟空は部屋を出て行き、は再び横になった。

(『秘伝の漢方薬』……
そういえば、風邪ひくと、お母さんはよく葛湯作ってくれてたな……)

そう思い出して懐かしかった。

夕方、八戒が食事を運んできてくれた。
トレイにはトマト味の洋風おじやとマグカップに深い赤紫のドリンク。

「これ何? ……スープじゃないよね?」

「ああ、それは赤ワインを煮て砂糖を溶かしたものです。
風邪にいいんですよ。食後にどうぞ」

「ふーん、おいしそう……」

「食べて、飲んで、早く良くなってくださいね」

「うん、ありがとう」

『薬は食後30分経ってからですよ』と念を押して八戒は部屋を出て行った。

(みんな、優しいね……)

おじやは栄養のバランスとか消化の良さを考えて作ってくれたものだというのはわかるし、ワインのドリンクもおいしかった。

(早く元気にならなくちゃ……)

皆の気持ちに応えたかった。

夜。
は早く寝て体力を回復させたいと思っているのに、昼間眠ったせいでなかなか寝付けなかった。

(まだ10時だもんね……)

普段からすれば随分と早寝だ。

本当は本でも読みたいところだが、肩や手を布団から出すことになるので我慢していた。

「退屈ーっ」

無意識に出した声に

「病人は大人しく寝てろ」

声が返ってきて驚いた。

「三蔵……あー、びっくりした」

思わず起き上がってしまったに、いつの間にか部屋に入ってきていた三蔵が無言で湯呑みを差し出した。

「 ? 」

スプーンの入ったそれを反射的に受け取る。

「あ……葛湯……?」

「……食え」

「…………もしかして、三蔵が作ってくれたの……?」

「……だったらどうなんだ?」

三蔵はそっぽを向いたまま答えた。

「すっっっごく、嬉しい!!」

「フンッ!」

まだそっぽを向いたままの三蔵だったが、その横顔は照れているようにも見えた。

透き通った葛をスプーンで口に運ぶ。

懐かしい食感。懐かしい味……

「子供の頃ね、お母さんがよく作ってくれたの、葛湯……」

「そうか……」

懐かしくて、嬉しくて、涙が出てきた。

「なに、泣いてやがる?」

「だって……嬉しくて……美味しいよ、三蔵……」

「……泣くか、食うか、どっちかにしろ」

「食べる」

涙を拭ってスプーンを動かし続けた。

「おいしかった〜! ご馳走様でした」

「食ったらとっとと寝ろ」

「ねえ、お願いしてもいい?」

「なんだ?」

「……私が眠るまででいいから……手、繋いでて……」

「……なに、甘えてんだ」

「………ダメ……?」

「……寝るまでだぞ……」

「ありがと……」

そして三蔵はベッドサイドに椅子を置いて座ったのだが、ベッドと椅子の高さが合わず、手を繋ぐには体勢的に無理があった。

「ああ、面倒臭え……」

そう呟いた三蔵には『お願い』を却下されるのだろうと思ったのだけれど、その予想は覆された。

「ちょっと身体ずらせ」

そう言うと三蔵はベッドの中に入ってきたのだ。

「えっ? 三蔵?」

「……特別に添い寝してやる」

「風邪、うつっても知らないよ?」

「俺がうつした風邪だろ? 俺にはもう免疫ができてる」

「そっか……」

寄り添った身体から体温が伝わってくる。

(たまには風邪をひくのも悪くないかも……?)

はとても嬉しくて、とても倖せな気分だった。

「早く寝て、早く治せ」

「うん……」

にっこりと笑って答えた唇に、三蔵はおやすみのキスをくれた。

今日、一番、暖かくなった気がした。

end

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