ドキドキ

その午後、次の町を目指して進むジープの上の空気は、なんとも言えないムードに包まれていた。

どんな話をしていても長くは続かないし、まるでいたるところに『振り出しに戻る』のコマがあるすごろくのように、一つの同じことについての話に戻ってしまう。

その原因はにあった。

正確にはの喉から発せられる定期的な異音……

……ヒック…………ヒック…………ヒック……

いつ頃、何をきっかけに始まったのかは思い出せないが、のしゃっくりが止まらない。

どんな話をしていても下手な相槌のように割り込んでくるその音や、音と共にピクッと身体が動いてしまう様を笑っていた四人だったが、長く続くそれは次第に笑いを誘うものではなくなっていた。

「……うぜえな」

「だって、仕方――ヒック――ないじゃない」

「まあ、しゃっくりは横隔膜の痙攣で、横隔膜は不随意筋ですからね」

「つーか、聞いてるこっちの方が息苦しくなってきそうだな」

、大丈夫か?」

「身体は大丈夫だけど――ヒック――気持ち的になんかヤだ」

「……水でも飲んでみろ」

三蔵に言われたが水筒の水を飲んだが止まらない。

「飯粒、呑み込むといいんじゃなかったっけか?」

「それは喉に魚の骨が刺さった時で、しかも間違った対処法ですよ、悟浄」

ワーーッ!!

「うるせえ!」

「なんだよ、猿? いきなり!」

「だって、驚くと止まるって言うじゃん」

……ヒック……

「……止まってませんね……」

その後、深呼吸をしてみたり、息を止めてみたりもしたけれど、のしゃっくりは止まってくれず、ひょうきんな異音をBGMにしたまま、ジープは町へと着いた。

宿が決まり、夕食を摂った後も、の横隔膜は痙攣を続けていた。

ペースは日中より多少落ちたり変則的になったりしてはいたが、一瞬、治まったかと思えば、また始まるといった具合で実に始末が悪い。

だけでなく他の四人も気になって他のことに集中することができないし、今夜は全員一緒の大部屋なので安眠妨害になるのは必至。

しかし……

「もう、放っといてくれていいから!」

は困り果てたような顔でため息混じりにそう訴え、その相手である悟空、悟浄、八戒の三人は苦笑した。

この三人はのしゃっくりを止めようと、あの手この手を使っていたのだ。

悟空はやぶから棒に蛙やトカゲ、クモ、ゴキブリ等、女の子が嫌う生き物を見せたり、物陰から飛び出したりした。

悟浄は買出し中にいきなり腰に手を回して抱き寄せたり、『で、三蔵のどこがいーわけ?』なんて答えられないようなことを訊いてきたりした。

八戒は民間療法をあれこれ勧めたり、唐突に小難しいクイズを振って、なんとかの意識をしゃっくりから逸らそうと試みたりした。

しかし、それらの努力が報われることはなく、を疲れさせるだけだったのだ。

にしてみれば長く続くしゃっくりは煩わしいし、それを止めようとしてくれることはありがたいのだけれど、民間療法には眉唾ものもあったし、悟空と悟浄は半分楽しんでいるような気がするし、こう驚かされてばかりではさすがにたまらない。

そして今またこれだ。

三人が宿の浴場に行っている間、と三蔵が二人で留守番をしていると、突然、部屋のドアが蹴破られでもしたかの勢いで開き、二人は、一瞬、敵襲かと驚いたのだが、声を上げながら入ってきたのは上半身裸の悟空と悟浄だったのだ。

三蔵は『うるせえ!』の怒号と共に二人にハリセンを食らわせ、は呆れかえってため息をついた。

その息を吐ききったの口は、また、あの音を発して、少し後から部屋に入った八戒は、悟空と悟浄に『叩かれ損でしたね』と声を掛けた。

「『放っとけ』ったってさあ……気になってしょうがねえし」

「ずーっと続いたら困るだろ?」

悟空と悟浄は頭をさすりながら、そう自分たちの言動を正当化しようとする。

「そんなに続くわけないだろうが!
コイツのしゃっくり以上にてめえらの方がウゼえんだよ!」

三蔵が眉間に皺を刻み、こめかみに青筋を浮かべながらはき捨てると、八戒が恐ろしいことを言った。

「ですが、他の大陸の記録では五週間以上続いたとか、60年以上続いたなんてケースもあるそうですよ?」

「……年単位で続くのは勘弁して欲しいな……ヒック……」

さすがにの顔も少々ひきつる。

「だろ? だろ?」

「だから、なんとかしてやろうってんじゃねーか」

「でも、、あんま驚かねえんだよな」

「悟空の悪戯は古典的すぎるんですよ」

「びっくりはしてるよ。
でも、虫や爬虫類は一人暮らしとか一人で旅をしているうちに――ヒック――見るだけなら平気になっちゃったし、皆の上半身裸なんて見慣れてるし……ヒック……」

「『見慣れてる』ねえ……よしっ! じゃあ、これならどうだ!」

そう言うなり、ズボンのボタンに手を掛けた悟浄だったが

バキィ! ゲシッ!! ゴスッ!!!

「ヘンタイ河童!」

「最低の手段ですね」

「死なねえと懲りんか? 貴様は」

鉄拳と蹴りの制裁を受け、露出狂まがいのセクハラは未遂に終った。

「……だから――ヒック――もう、いいって……」

倒れこんだ自分の傍にしゃがんだにそう哀れむような声で言われて

「悪りぃ……ふざけすぎたわ」

と、謝った悟浄は、その時に思ったことはさすがに口には出さなかった。

(……まあ、見慣れてねえわけもねーか……)

悟浄もやはり命は惜しかった。

一連のコントのようなやりとりが終って、室内が落ち着いた頃。

「風呂、行って来る」

そう言ってドアに向かった三蔵は

「俺たちと一緒に入っときゃいいのに」

という悟空の言葉に立ち止まり振り向いた。

「てめえは泳いだりするだろうが! 俺はゆっくり静かに入りてえんだよ」

「あー、今日は無理無理。
団体客がいるとかで、俺らと入れ替わりに酔っ払ったオヤジたちが入ってったぜ?
も風呂はこれからだろ?
女湯、覗かれねーように気をつけた方がいいぞ」

茶化すように言う悟浄はなんだか面白がっているようにも見える。
酔客の団体なら、確かに悟空の方がマシだ。

「家族風呂もあるそうですから、静かに入りたいならそっちにしたらどうですか?」

八戒は三蔵にそう勧め、

「家族風呂か……」

と、呟いて三蔵はなにやら考え込んだ。

そして何かを思いついたようにを呼んだ。

ベッドに腰掛けて入浴の準備をしようと荷物を漁っていた

「ん? ――ヒック――なに?」

と、手を止めて訊き――

「一緒に入るか?」

返された言葉に絶句して、真っ赤な顔をしたまま固まった。

いや、だけでなく、他の三人も、ジープまでも金縛りにあっていた。

その状態はどれくらい続いただろうか?

やがて三蔵が満足そうに『フン』と鼻をならし、口角を上げた。

「……止まったな」

笑いを含んだ声で言った三蔵はそのまま部屋を出て行ってしまい、後には呆気にとられた四人が残された。

はすっかりうろたえていた。

(なんなの? なんなの!? 今のは〜!)

二人で同じ部屋に泊まる時でさえ、一緒にお風呂に入ったことなんてないのに、今までそんな事言われたことなんてないのに、皆のいる前で言うなんて――!!!

誘われたものの一人で残されたは皆の顔を見ることもできない。

そんなの真っ赤になった耳に三人の会話が届いた。

「……確かに止まりましたね」

「……だな」

「何が?」

「「 のしゃっくり 」」

そう言われると、数時間に渡って続いていたしゃっくりが止まっている。

「くやしい〜〜〜!」

はベッドに倒れこんで手足をばたつかせた。

三蔵は、そんなつもりもないのに、を驚かせるためだけにあんなことを言ったのだ。

しゃっくりが出始めて以降、驚かされることばかりでずっとドキドキしっぱなしのだったが、今が一番、心拍数があがった。

そして、まんまと三蔵の思惑どおりになってしまったのだ。

今もまだ心臓は激しく鼓動していて、それが悔しくてたまらない!!

そして、悔しいのは他の三人も同様だった。

町に着いてからは『そのうち止まるだろ』なんて言って、一人だけ『我関せず』の姿勢を崩さなかったくせに、三蔵は、最後に大きな爆弾を落として、おいしいところを持っていったのだ。

あのセリフは三蔵以外の者が言ってもただのセクハラにしかならない。

三蔵だけが言える、三蔵にしかいえないセリフで、三蔵が言ったからこそは驚き、成果に繋がったのだ。

四人がそれぞれに悔しい思いをしている頃、三蔵は、一人ほくそ笑みながら、貸し切りにした家族風呂の湯船でゆっくりと一日の疲れを癒していた。

end

Postscript

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