迷い

宿の部屋。
ベッドの傍に寄せた椅子に座って、は落ち込んでいた。

そのベッドでは悟浄が眠っている。
襲撃を受けた際に怪我をしたのだ。

(私のせいだ……私が、ちゃんと戦えないから……)

はそう自分を責めていた。

ここのところ、戦闘中にはうまく身体が動かない。

そうなったきっかけはわかっている。

数日前に敵を片付けた後のことだった。

「しっかし、まぁ、襲ってくる奴らの絶えねーこと」

「仕方ありませんよ。懸賞金付きの手配書が出回ってるみたいですし」

「無能な奴ほど自分の手は汚したがらないもんだ」

「それって、なんか、ずりぃよな」

ありがちな何気ない会話だった。

しかし、の中に引っ掛かったフレーズがあった。

『自分の手は汚したがらない』

耳に残ったその言葉を反芻しているうちに思った。

――自分もそうなのではないだろうか?――

自分は敵の動きを止めることはできても、それ以上のことはできない。
とどめを刺すのはいつも四人で、それはつまり、皆は『手を汚している』ということで……

皆に甘えて、皆に汚れ役を押し付けて、自分は楽をしている。

その状況に気付いて激しく自己嫌悪した。

だから『確実に敵を倒せるようにならないと』と、思ったのに……

いざとなると、どうしても躊躇ってしまう。
そして、その躊躇いが戦闘中の隙になってしまった。

切り掛かられたのにすぐに反応できなかった。
三蔵が間に入って庇ってくれた。
でも、丁度弾切れになったところだったらしくて、剣を銃身で受け止めるだけしかできなくて。
その状況に気付いた悟浄が錫杖の鎖鎌を伸ばして、敵を倒してくれた。

そして、その為に悟浄は、自分に向けられてきた刃を防ぐことも避けることもできなかった――

傷はその場で八戒が塞いだし、悟浄も『こんくれー、平気だっての』なんて言っていたけれど、本当は移動中のジープの振動も辛いような状態だったに違いない。
町に着いて宿に入り、ベッドに横になると、悟浄はすぐに眠ってしまった。
寝顔に苦しげな様子はないけど、顔色は良くない。

皆が怪我をするところなんて見たくないのに、自分がその怪我の原因になってしまうなんて……

両頬をぺちぺちと叩いて涙ぐんでしまいそうになった自分を叱り付けていると部屋のドアがノックされた。
買出しに行っていた八戒と悟空が帰ってきたのだ。

「あとは僕が看ますから、あなたは部屋で休んでいてください」

「……うん」

本当は悟浄の傍についていたかったけど、は大人しく部屋に戻った。
八戒が何を心配しているのか、わかっていたから。

八戒は、いや、たぶん三蔵も悟空も当の悟浄も、が珠の力を使ってしまうのではないかと危惧しているのだ。
これ以上、皆に心配や迷惑はかけたくない。

部屋に一人でいても、何もする気にはなれず、はテーブルに座って考え続けていた。

自分のせいで皆に怪我をさせてしまうなんて事態は、これで最後にしたい。

ちゃんと戦えるようにならないといけない。
ちゃんと覚悟を決めなければ。

そう必要なのは『殺す覚悟』だ。

初めて四人に会った時にも三蔵に言われた。

『襲ってくる以上は敵だ。生き残りたきゃ迷うな。殺せ』

殺さなきゃいけない。

次に敵襲があった時こそ、殺すのだ――

!」

強めの声で呼ばれて、はっと顔を上げると、テーブルのすぐ横に悟空がいた。

「悟空……どうしたの?」

「これ、さっき渡しそこねたから持って来たんだ。買出しのお土産」

受け取った袋の中にはまだ暖かい桃饅頭が入っていた。

「……ありがとう」

「大丈夫か?」

「え? 何が?」

思わず聞き返してしまったは、自己嫌悪や考え事でいっぱいっぱいで、八戒や悟空が落ち込んでいるだろうと気遣ってくれていることにすら気付ける余裕がなかった。

「ノックもしたし、名前も何度か呼んだのになかなか気付かなかったしさ。
それに……」

そこで、悟空は言いにくそうに一旦言葉を切り、続けられた言葉はを更に悩ませることになった。

「今、なんか、スゲェ怖い顔してた……」

翌日には普通に出発した。

は悟浄の身体を心配したが、本人が『もう治ってんだからケガ人扱いするな』と言い、三人も出発するのが当然といった態度だったので、反対は出来なかった。

その後、二日は襲撃を受けることもなく、悟浄の体調も元に戻ったようで、少しはホッとしただったが、それで悩みが解決したわけでもなかった。

そして――

『こなければいいのに』と思っていた時が来た。

突然、移動中のジープが停められ、降りた四人が武器を手にする。
妖気を察知し、敵襲に備えているのだ。

も携帯している短剣を取り出そうとしたが、三蔵に言われてしまった。

「お前はいい。どこかに隠れてろ」

「え? でも……」

「半端な戦いしかできない奴に出る幕はない」

はもう何も言えず、何も出来なかった。

その夜。
宿の大浴場で湯船に浸かりながら、はひたすら落ち込んでいた。

今日は大部屋に全員で泊まるので、一人でいられるのは今だけだ。
泣きたい気分だけれど、今、泣けば涙は止まらなくなる。
泣き腫らした顔で部屋に戻るわけにはいかない。

あがるまでの間にはお湯をすくって顔を洗うことを何度も繰り返した。

が『このままお湯に溶けて消えてしまえたらいいのに……』などと思っている頃、部屋にいる男たちの話題は当然その場にいない者のこととなっていた。

「こないだもさ、呼んでるのにも気付かないくらい何か考え込んでたんだ」

「何かに悩んでるっつーのは確かだよな」

「ええ。訊いたとしても絶対に言わないでしょうが……」

「……俺のケガだって大したことなかったてぇのに……」

「……優しい人ですからね。
それ以外にも、戦闘や無残な死に日常的に接するというのは、かなりの精神的負担になっているでしょうし……」

「あの時、なんか、スゲェ怖い顔してたんだよな……」

「どのみち、このままにはしておけねーよな」

「ええ、今の状況が長く続くのは命取りになりかねません」

「でもさ、が何を悩んでんのかわかんなきゃ、何もできねえじゃん」

「……飲ませてみるか……」

それまで、会話に入ってこなかった三蔵が呟き、三人の視線が集中する。

「「「 え? 」」」

「……アレは、泥酔すると本音が出易くなる」

「へ? そうなの?」

「ふぅ〜ん。さっすが三蔵サマ。よく知ってんじゃん」

「……試してみる価値はありそうですね」

の長風呂を幸い、八戒と悟浄は酒屋へと走った。

風呂から戻ったは唐突に始められていた酒盛りに面食らったが、『もしかすると、これも自分を元気づけるためのものなのかもしれない』と思うと、薦められたグラスを断ることはできなかった。

酒宴はいつの間にか『カードゲームに負けた者がグラスを空ける』というものに変化していた。
を酔わせるのが目的なので、今夜に限ってはにバレない限りイカサマも有り。
酔えば注意力や判断力も低下する。

次第にの負けが込んでいき、四人の思う壷には酔っていった。

「そろそろお開きにした方がよさそうですね」

しばらく後、八戒がため息まじりに言った。

「だな。完全に潰しちまっちゃ元も子もねーし」

「二日酔いになったら可哀想だもんな」

「チッ! どうでもいいことはベラベラ喋りやがるくせに」

に酔いが回りだした頃から四人はいろいろと話題をふって努力はしたし、もよく喋ってはいたのだが、肝心の聞きだしたい事については口を割らなかった。

片手で頬杖をつき片手でカードをいじっているは潰れる寸前と言った具合で、四人のそんな会話も耳には入っていないようだ。

、そろそろ寝ますよ」

「大丈夫? 立てる?」

「ん〜? 大丈夫!」

八戒に促され、心配する悟空にはそう答えたけれど、テーブルから離れた途端、床にへたり込んだ。

「あー、もう! どこが『大丈夫』だよ!?」

悟浄がそう言って手を貸そうとしたが、

「いい!」

は強く断った。
そして、その後、誰になんと言われても『自分でベッドまで行く』と言い張り続ける。

「いい加減にしろ!!」

業を煮やした三蔵が叱り付けるとはビクッと身体を揺らし、ポロポロと涙をこぼし出した。

「だって……だって、何もできないのは嫌なんだもん!
皆のお荷物でいるのは嫌ぁ〜!」

泣き上戸になってしまったらしいに慌てた八戒と悟浄、悟空の三人がなだめにかかり、計らずもそれが聞きたかったの本音を引き出す結果となった。

が『何もできない』なんてことないぞ?」

「そうですよ。お荷物なんかじゃありませんよ」

「だって、ちゃんと戦えないし、悟浄にもケガさせちゃったもん!」

「俺のケガなんて、大したことなかったんだから気にしなくていいって」

「でも、敵なのに殺せないし、自分の手を汚したがらないのは無能なんでしょ?
だから、殺せるようにならなきゃって思うのにできないし、『怖い顔してる』とか『出る幕はない』とか言われるし……
もう、どうしたらいいのかわかんないっ!!」

ここ数日、悩み続けていたことを吐き出して、声を上げて泣くを前に、四人は、そんなことを気にして悩んでいたのかと、ため息をつくことしかできなかった。

そのまひとしきり泣き続けたは泣き止むと同時に寝てしまい、四人もすぐに就寝した。
なんだかドッと疲れた気分になっていた。

翌日、宿を発って移動中のジープの上で、がおずおずと訊いてきた。

「ねえ……昨夜、私、何か変なこと言わなかった?」

二日酔いにはなってないようだが、記憶はないらしい。

「そうですねえ」

「変なことって言うかさ……」

「くだらねえことはほざいてたな」

「え……? なんて言ったの?」

「まあ、お前が何を悩んでたかってぇのはわかったかな」

「嘘……そんなことまで言っちゃったの……?」

そう呟いてがっくりと肩を落としたに、八戒は優しく声を掛けた。

「前にも言ったことがあったでしょう?
まだキレイな手を無理に汚す必要はありません」

「たとえ妖怪でもさ、が誰かを殺すとこなんて見たくねえし、そんなことさせたくねえって思うからどんなに腹へってても頑張って戦えるんだ」

悟空はそう言って笑い、悟浄は

「俺らはお前に会うずっと前からもう汚れモンだったわけだしさ。
前に言われたことあんだよ。『雑巾には雑巾の役割があるだろ』ってな。
でも、雑巾だってたまにはキレイな水で洗って欲しいんだよ。
俺らにとっちゃ、お前がその『キレイな水』だ。
だから、そのままでいて欲しいんだよ」

と、語った後で照れを隠すようにタバコに火を点けた。

「……いいの? 本当に?」

は思わずそう訊いてしまっていた。
皆が言ってくれている言葉の意味はわかる。でも、本当にそれでいいのだろうか?

「同じ事を何度も言わせるな。
お前はお前に出来ることだけやってりゃいいんだ」

三蔵に言われては思い出した。

――出来ることをする――

そう決めて、この旅について来たことを……

「……ありがとう」

申し訳なさとか感謝とかいろんな感情が胸に溢れて、はその一言を返すのが精一杯だった。

殺す覚悟はできないけれど、命を捨てる覚悟ならできる。

自分にしか出来ないこともある。。

いざという時には命に代えてもそれをする

――だから、皆と一緒にいさせて――

その日、の中にあった迷いは消え、新たな覚悟が生まれた。

end

Postscript

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