Unconscious memory

その午後、悟浄は特にすることもなく、暇つぶしに街中をうろついていた。

この町についたのは昼時で、食事をとり、買出しを済ませて、宿を決めれば、夕食までは自由時間。
ナンパでもしたいところなのだが、なかなか声を掛けたくなるような相手も見つからず、ため息をつきたい気分だった。

(宿に戻って、猿でもからかって遊ぶかねぇ?)

そんなことを考えながら歩いている時だった。

ふと目に入ったものに足が止まった。

それは、今日、が着ていたシャツに似ていたのだが、問題はそれを見つけた場所だ。

(まさかなぁ……)

そう思って行きすぎようとしたのだが、聞こえてきた声に踏み出す足の方向を変えた。

「お姉ちゃん、頑張れー!!」

「あー、もうちょっと!」

声援を送るような子供の声が、すぐ横の公園の中から聞こえたのだ。

『お姉ちゃん』という部分に嫌な予感がした。

悟浄が最初にのシャツを見かけたのは、木の上だったからだ。

(おいおい、やっぱりかよ?)

足早に目指した公園内の木の上には、やはりその人物がいた。

太い枝に足を掛けて、上の枝に手で掴まっている。
空いた手は指先までピンと伸ばされていて、その先の枝にはボールが引っかかっていた。
恐らく下から声を掛けている子供たちがボールの持ち主で、木の根元にある買い物袋はの物だろう。
買い物帰りに公園に寄り道をしたというところか……

大体の状況は把握できたが、だからといって木に登ってしまうのお転婆ぶりに少々呆れた。

三蔵がいつも『アイツから目を離すとろくなことがない』と言っている気持ちが少しわかる気がした。

ボールを取ろうとしているは悟浄が来たことにも気付いていないようだ。

「おーい、〜! お前、大丈夫かー?」

声を掛けてみると

「ふぇ?」

『え』と『へ』が混じったような間の抜けた声を発したがこちらを見て、伸ばされていた腕の張りが少し緩む。

「ああ、うん、なんとかー」

一瞬『あっ! 見つかっちゃった!』という顔をしたが、そう返事をして再び腕をボールへと伸ばした次の瞬間

ポキッ!

が掴まっていた枝が音を立てて折れた。

短い悲鳴をあげたの身体が支えを無くして落下する。

悟浄の身体は無意識のうちに反応し動いていた。
広げた腕と胸で受け止める。

は身体を捻るようにしながら落ちたので、抱きかかえるには無理がある体勢になってしまっていたが、落としてしまうわけにはいかなかった。

「はー、あっぶねぇ、危ねえ」

なんとか受け止めてホッとした。

こちらに背を向けて横臥するような形で腕の中に納まっているの顔は見えないが、まだ身体を硬くしているところをみると何がどうなったのかがわかっていないようだ。

「おい、ケガねーか?」

「え? うん」

声を掛けるとは振り返るように身を捩った。

「わっ! バカ! 動くな!!」

が動いたことで重心がずれ、バランスが崩れる。

「ぉわっ! わゎっ!」

「きゃーっ!」

ドサッ!

「っ!」

「げふ!」

結局、悟浄はしりもちをつくように倒れてしまった。

最後までを地面に落とすことはなかったが、仰向けに転がった身体でを受け止めることになってしまっていた。

「あっ! ごめん、悟浄! 大丈夫?」

慌てて身体の上から退いたが声を掛ける。

「ああ、大丈夫、大丈夫」

言いながら起き上がって、それに気付いた。

「お前、ほっぺた赤くなってんぞ?」

の左の頬は少し赤く腫れているようだ。

「本当? 落ちる時に枝で打っちゃったかな?」

「大体、木登りなんかしてんじゃねえ、っての」

「だって、この子たち困ってたんだもん」

その『困っていた』子供たちは、一連の出来事に呆気にとられているようだった。
しかも元凶のボールはまだ木の上にある。

悟浄は仕方なく、その幼稚園児くらいの三人の中で一番背が高い子供をひょいっと肩車してやった。
子供が歓声をあげる。

「うわぁーっ! たかーい!!」

「ほら、これなら、ボールに届くだろ?」

「うん! すごいや!」

しかし、ボールを取った後も、子供は悟浄から降りたがらなかった。
よほど肩車が気に入ったらしい。

更に、他の子供たちからも『ぼくも、ぼくも!』とか『ひとりだけなんてズルい!』などとせがまれ、結局、悟浄はその場にいた全員を順に相手にしてやるハメになったのだった。

「あ゛〜〜、ガキどもの元気なこと!」

ひとしきり遊んでやった後で、悟浄はベンチに腰を下ろした。

「お疲れ様。はい」

がそういって差し出した缶コーヒーを受け取る。

「サンキュ……お前、ほっぺた大丈夫か?」

「うん、あまり痛くはないけど、まだ腫れてる?」

「ちょっとな」

悟浄が子供のオモチャになっている間も濡らしたハンカチを当てて冷やしていたようだがまだ少し赤い。

「じゃあ、もう少しここでこうしてようかな」

三蔵や八戒に知られると叱られてしまうだろう。
それを避けたいと思うのはわかるし、特に何もすることがなかったので、悟浄もそれに付き合うことにした。
公園のベンチにと並んで座っている図というのも悪くなかった。

「悟浄って子供に好かれるよね? 将来、いいお父さんになりそう」

「そうか?」

「うん。子供と一緒に夢中になって遊んで、奥さんから『うちには大きな子供がいる』とか『うちの旦那は旦那じゃなくて長男だ』とかって言われそう」

「……それって褒められてんの?」

「そのつもりだよ?
ちゃんと子供の相手してくれるお父さんっていいと思う……
私、お父さんのことって覚えてないから余計にそんなふうに思うのかもだけど」

父親のことを覚えていないのは悟浄も同じだった。

「そういや、の親父さんは早くに亡くなったって言ってたな」

「うん、私が三つの時にね」

含んでいたコーヒーを飲み込んだ悟浄の口がすべる。

「……同じだな。俺の両親が死んだのも俺が三つの時だった」

『三つの時』という共通点に、魔がさした。

「あ……そうだったんだ……ごめん」

済まなさそうな口調のに笑ってやる。
言わなくていいことを言ったのは自分だ。

「いーよ、気にすんな。
覚えてねえから、別に悲しいとか辛いとかも思わねえし」

「うん……私もそうかな? ……悲しいとか辛いとかよりは寂しいって感じ?
でも、そんな時はお母さんやお兄ちゃんがよく話して聞かせてくれてね。
うちのお父さん、私のこと、とても可愛がってくれてたんだって」

それから、は聞かされたという父親の話を始めた。

たぶん父親の話をしながら母親や兄のことも思い出しているのだろう。
嬉しそうに懐かしそうに話す笑顔が可愛くて、悟浄は相槌をうちながら聞いていた。

「……だからね、『お父さん』って言葉には暖かいイメージが強いの。
たぶん、頭じゃなくて、心とか身体にそういう記憶が残ってるんだろうな、って思う」

「お前らしい考え方だな」

「悟浄にだって同じことが言えると思うよ?」

「俺に?」

「うん。悟浄ってさ、フェミニストだし、結構、常識的な部分もあるし、悪ぶったって結局、悪役には徹しきれなかったりするじゃない? 四人の中じゃ一番のお人よしだしさ」

「お前に言われたかねーよ」

「わざわざ自分から進んで貧乏くじを引きにいってるようなとこもあるしさ。
その時に応じて、軽薄ぶったり、憎まれ役を買って出たりで皆のバランスを取ってるのって悟浄なんだと思う」

「……買いかぶり過ぎじゃね?」

悟浄は照れ隠しのようにタバコを取り出して火をつけ、は更に続けた。

「きっと、悟浄は、三つの時まで、ご両親にとても愛されてたんだと思うよ」

煙を長く吐き出しながら、悟浄は返す言葉を探していた。

は悟浄が心中事件の生き残りだとは知らない。
その後の自分がどういう生活を送っていたのかも。

しかし、複雑な気分の中でふと思った。

『両親』は、愛しているから、一緒に連れて行こうとしたのかもしれないし、もしかしたら、愛しているから『殺せなかった』のかもしれない。
育ててくれた『母親』の手にかかって死んでも構わないと思ったのは、自分が愛されていたからこその負い目を感じていたのかもしれない……

「そーゆー、考え方もあっか……」

両親の事、育ての母親の事、兄の事……様々な事が複雑に絡み合っていた幼少時代を思えば、そう返事をするのがやっとだった。

心中は相変わらず複雑なままだが、しかし、不思議と穏やかだった。

そういう風に思えたら倖せなのかもしれないとも思う。

ならいざ知らず、自分にはとても出来そうにないことだが……

「……ごめん。調子に乗って話し過ぎたかな?」

自分では態度には出さないようにしていたつもりだが、がなんだか申し訳なさそうな顔で訊いてきた。

気取られてしまった自分に舌打ちしたいような気分と、自分の気持ちを敏感に感じ取ってもらえたのが嬉しいような気分が交じり合った。

「いーや、そんな事ねーよ」

そう打ち消した後でニッと笑っていつもの軽い調子で言ってやる。

「『公園のベンチに並んで座って話す』ってシチュはデートみてえで気分いいし」

「そう言えばそうね」

はそう言って笑って、

「ね? ほっぺ、まだ赤い?」

と、話題を逸らしてくれた。
こういう気の回し方が出来るあたりが有難かった。

の頬の腫れはもう引いていたので、そのまま公園を後にして宿に向かった。

「ねえ、悟浄。今日のことは他の皆には内緒にしてくれる? 絶対叱られるもん」

上目遣いに言ってくる表情が可愛くて、悪戯心が起きた。

「じゃ、口止め料」

「え〜?」

「冗談だよ」

他愛のないやりとりをしながら、内心では思っていた。

(まあ、もう、もらってるようなもんだしな)

落ちてくるを受け止めようと手を伸ばした時、誓って故意ではなく、100%の事故で触れてしまった柔らかい円み。

悟浄にとっては幸運な接触は一瞬だけだったが、その感触は強烈に刻み込まれている。

少なくとも今夜いっぱいは掌を見るだけで、それを思い出してしまうだろう。

見えてきた宿の看板を見ながら、はもちろん、他の奴らにも絶対に気付かれないようにしなければ、と思うはなから顔が緩んでしまいそうになる悟浄だった。

end

Postscript

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