傷

その時、は大急ぎでシャワーを浴びていた。

宿で風呂を使える時にはゆっくりしたいのが本音だが、時と場合によってはそうもいかない。

降りだした雨の中で町に着き、宿を探す間に皆、濡れていた。

雨に冷えた身体を温めるには入浴が一番だったが、最初に見つけたこの宿には各部屋に備え付けのユニットバスしかなく、しかも取れたのは五人部屋。

つまり一人ずつでしか使えず、その順番が遅くなった者は風邪を引いてしまう可能性が発生してしまう。

が最初に浴室に送られたのは、レディーファーストのフェミニズムにも、体力のない者から先にという合理性にも適っていたが、だからといって後がつかえている状態ではは悠長にお湯を張るわけにはいかなかった。

「ごめんなさい。お先でした!」

ドアを開けながら言い、ユニットバスから出る。
四人は上半身裸で、それぞれ濡れた服を室内に干したり、お茶を啜ったりしていた。

当然のような顔をして三蔵が入れ替わりに入って行ったのは、年功序列なのか、体力的な問題なのか、何か他にも理由があるのか。
いずれにしろ三人が何も言わないのならそれで問題はない。

「そんなに急がなくて良かったのに……ちゃんと温まりました?」

言いながら八戒がお茶を出してくれたテーブルに座る。

「うん。そこはちゃんと」

答えて上げた顔を湯呑みに戻す途中で八戒の腹部の傷が目に入った。

初めて見た時には、その大きさとか、温和な好青年の身体には意外すぎる似つかわしくなさとかに少し驚いてしまったけれど、こんな旅をしている人たちなのだからと納得もしたものだった。

「おい、。髪もちゃんと拭いとかねーと風邪ひくぞ」

「ああ、うん。今から拭く」

風呂を出る時は服を着ることを急いで、濡れた髪はバスタオルで包んだだけだった。

でも、そう注意してくれた悟浄の髪も雨に濡れている。
そのせいで顔の傷がいつもよりよく見えていた。

(そういえば、皆、結構、傷跡があるのよね……)

髪を拭きながら、はそんなことを考えてしまっていた。

いくら四人が強いとは言っても、日常的に敵の襲撃を受けているのだから生傷は絶えない。
大抵はかすり傷だけど、跡が消えるまでにはしばらくかかる。

灯りの下で見る三人の身体には細かな傷跡がいくつも確認できるし、それはベッドの中で見る三蔵の身体にもいえることだった。

出血が激しいような大きな傷は八戒が気功を使って治療するけれど、それだって八戒の身体にとっては負担となる。

現に、八戒は悟空と悟浄がケンカして作ったケガには気功は使わないし、誰も治してくれとも頼まない。

(……私、八戒に甘え過ぎだ……)

移動中に転んだ擦り傷とかも八戒に治してもらっていたは反省した。

髪を乾かしながらの考え事で誰にも気付かれなかったことを幸い、は、今後、ケガには気をつけること、大きなケガでないなら気功での治療は遠慮することを心に決めた。

数日後、夕方になってやっと着いた町で宿の部屋に落ち着きながら、八戒はのことを気にしていた。

(さっき、なんとなく様子がおかしかったんですよねえ……)

宿で一人ずつの部屋がとれた時にいつになく嬉しそうな表情をしていた。

野宿の後ならそれもわかるけど、昨日の宿でも全員が一人部屋だった。
まあ、それでも、は一人で寝たわけではなかったようだが、それも別に珍しいことではない。

それ以外にも、滞在が長くなりそうなわけでもないのに、『宿の人に何か本を借りたいから』と四人を先に行かせたし、その前に、八戒が『夕食まであまり間がないので買出しは明日にする』と言った時にも、妙にホッとした様子だった。

(考えすぎですかねえ……?)

自問自答をしながら、今日の出来事を振り返ってみる。

町に着くのが予想より遅くなったのは敵襲があったからだ。
人数がやたらに多かったので時間的には手間取ってしまったが、一人一人は雑魚レベルで大した敵でもなかった。
言わば慣れたことで、片付けた後は野宿を避けるべくいつものようにジープを走らせた。

思い返してみると、気になってしまう原因には心当たりがないこともなかった。

戦闘後、のシャツは左肩の辺りが破けていたのだ。

本人は『切れたのはシャツだけでケガはない』と言っていたし、血の色も見えなかった。

しかし、が着ていたのは黒いシャツだ。
の言い分を鵜呑みにして先を急いだのは軽率だったかもしれない。

気になることは確かめればいい。

八戒は立ち上がって部屋を出た。

その部屋の前に立って、ドアをノックする。

、僕です。少しいいですか?」

「えっ!? ちょ、ちょっと待って!」

声が返ってきて、その内容よりも、慌てまくった様子に背中を押された。

「入りますよ?」

一応、そう声を掛けてドアを開ける。
施錠されていなかったのは幸運だった。

「あっ!」

その声と共に目に入った光景は予想通りというか予想外というか……

テーブルの上には蓋の開いた救急箱や薬の瓶、ガーゼや包帯が載っており、ケガの治療中であることは誤魔化しようがない。
たぶん、宿から借りたのは本ではなく、この救急箱だったのだろう。

そして、椅子に座ったは上半身裸で、抱え込んだシャツで胸を隠して、困ったように俯いている。

八戒は取り急ぎ室内に入り、ドアを閉めた。

「すみません。こんな失礼をするつもりではなかったんですが……」

に背を向けて、まず非礼を詫びる。

「やっぱり、服が切れただけじゃなかったんですね?」

言ってやると、後ろでがため息をついた気配がした。

「なんでバレるかなぁ……?」

「訊きたいのはこちらの方ですよ。何故、隠そうとするんですか?」

「だって、かすり傷だし、気功を使ってもらうほどじゃないと思って……」

「それは見てみないとわからないでしょう?
自分で見えるんですか?
ケガをしたのは肩でしょう?」

正論をぶつけてみるとは黙った。

「とにかく見せてください。こちらに背中を向けて」

「……はい」

諦めたような声とほぼ同時に椅子を動かす音が聞こえて、八戒は向き直った。

近づいて見てみると、傷は、の言うとおり掠った程度で深くはなかった。
しかし、長さは7〜8cmはある。

「確かにそう深くはありませんが、これは気功を使っていいレベルです」

言いながら気を送る。

「痛かったでしょうし、結構、出血したんじゃありませんか?
血の跡が拭ききれてませんよ?」

眩しいほどに白く美しい背中には、薄くこびりついた血がまだ少し残っている。
消毒液に浸した脱脂綿で拭いてやりながら、八戒は頼んだ。

「お願いですから、ケガをした時は正直に言ってください。気遣っていただけるのは嬉しいですが、このくらいの傷なら治すのはそれほどの負担ではありませんし、無理をして悪化でもしたら、そちらの方が迷惑です」

そこで一旦言葉を切ったが、は俯いたまま返事をしなかった。

『迷惑』という言い方はキツかったかと思いながら八戒は言葉を続けた。

「僕たちは男ですから少々の傷跡が残っても気にすることはありませんが、あなたは女性なんです。
消えない跡でも残ってしまったら、さんやにも顔向けできません」

自分たち以外にものことを心配している人はいるのだと、だから、無理はしないでくれと、祈るような気分で言うと、は小さく頷いた。

「……うん……ごめんなさい……ありがとう」

「どんな小さな傷でもちゃんと言ってくださいよ?」

「うん……そうする」

反省しているようなの声には懲りたような響きもあった。

こんな姿を三蔵以外の男に見られてしまったのはやはり相当、恥ずかしいのだろう。

「わかっていただければいいんです」

の格好が格好なので、長居をするわけにはいかない。
そう、その場を締めて、八戒は早々に退出した。

部屋に戻って八戒は、自分の偽善ぶりに自嘲した。

(本当は、あなたの肌に傷があることを、僕自身が許せないだけなんですけどね……)

の名前まで出したけれど、結局はそうなのだ。

にはキレイで、元気に笑顔でいて欲しい。

それは自分の勝手な願望だ。

むしろ、エゴといってもいいかもしれない。

そう、治して消したのは肩の傷だけではなかったのだ。

血を拭いてやりながら、その背中や首筋にいくつか散らばっていた紅い跡も消してやった。

傷ではないそれが、誰にどんな状況でつけられたものかは明白で、それは八戒の心に小さな擦り傷を作った。

だから、『治療』したのだ。

(ええ、治しますよ。これからも)

――どんな傷でもね――

end

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