unhappy day
それはささやかな倖せの終わり。
抱えてバクバクと食べていたビッグサイズのスナック菓子の袋が空っぽになった。
「あーあ。こんでもまだ食い足りねえ……」
絶望にも似た気分で倖せの抜け殻を放り出して、悟空はため息をついた。
そのままごろんとベッドに寝転がる。
目に入った窓の外は雨。
春先特有の細かな雫が音もなく静かに降り続き、一昨日から旅の足を止めている。
この宿では全員一人部屋。きっと不機嫌に違いない三蔵と同室ではないのには少しだけホッとするけれど、部屋に一人でいると退屈で仕方ない。
「そうだ!」
思いついて、ベッドから跳ね起きる。
――に何かおやつを作ってもらおう!――
何を作ってもらおうか考えつつ部屋に向かい
「〜!」
名を呼びながらドアを開けた。が
「あれ?」
部屋は無人だった。
(出かけてんのかなぁ……?)
仕方なくドアを閉め、『じゃあ、八戒に頼んでみようか』と思い直す。
しかし……
「え〜?」
……八戒も部屋にはいなかった。
これではどうしようもない。
「あー、なんか、つまんねえなあ……」
しょんぼりとうつむいて廊下を歩いていると
「ふぎゃ!」
「うぉっ!」
部屋から出たばかりの誰かとぶつかった。
「どこ見て歩いてんだよ!? 猿!!」
「なんだ。悟浄か」
「テメ! 自分からぶつかってきといて『なんだ』ってなんだよ!?
下見てたって食いモンなんて落ちてるわけねーだろ?
ちゃんと前見て歩け! バカ猿!!」
「『バカ猿』言うな!!」
場所も忘れて、ある種パターン化されたやりとりの口ゲンカが始まる。
そして、いよいよピークかという頃、
スパパパーン!!!
突然、開いたドアからかまされた強烈なハリセンが、一瞬にしてそれを終結させた。
「てめぇら!! 人の部屋の前でギャアギャア騒いでんじゃねえよ!! 死ね! バカども!!!」
一息に怒鳴って、ドアを閉めた三蔵はやはり雨で不機嫌さが通常より割り増しされているようだ。
「いててて……」
「ったくよー。奴の声の方がでけェっつーの……」
共に戦意を喪失してため息をつく。
ここで『お前のせいだ』などと第2ラウンドを始めても、今度は銃弾を撃ち込まれかねないことを二人とも十分すぎるほどわかっていた。
「あーあ」
ぼやきながら廊下を歩き出した悟浄の背に悟空は訊いてみた。
「なあ? と八戒、知らねえ?
二人とも部屋にいねえんだ」
「ああ、確か『買出しに行く』とか言ってたぞ」
たぶん悟浄もどこかへ出掛けるところだったのだろう。
振り向きもせず言ってそのまま廊下を曲がっていった。
(なんだ……二人とも言ってくれればいいのに……)
ヒマでヒマでしょうがなかったし、雨の中の買出しはいろいろ大変だから、手伝えと言えば手伝ったのに……
それに一緒に行っていれば何かおいしいものを買ってもらえたかもしれないと思うと、ますます恨めしい気分になってくる。
(待てよ? まだ間に合うかも?)
買い物中の二人を探してみよう。
どうせ宿でじっとしてても面白くないのだから、少しでも食べ物にありつける可能性がある方がいい。
悟空は宿の玄関に向かった。
フロントの所で壁にかかっているカレンダーが目に入った。
日めくりの大きな日付は『4月5日』
(あぁっ! 今日って!!)
誕生日だ……すっかり忘れていた。
誰も何も言わなかったし……
(じゃ、絶対、と八戒を見つけて何か買ってもらおうっと!!)
宿から借りたビニール傘を開いて、足取りも軽く春雨の街中に踏み出した。
しばらく後、悟空は最初とはうって変わった足取りで、トボトボと歩いていた。
「……ツイてねえなあ……」
あちこち探しても結局二人を見つけることはできなかったし、雨は止んだけど、それで役目のなくなった傘は邪魔な荷物になってしまったし、横を走り抜けていった子供が長靴で踏んだ水溜りの泥水が撥ねてズボンに染みは出来るし、腹は減ったし……
せっかくの誕生日だというのに……
そういえば、朝から誰にも『おめでとう』なんて言ってもらってない。
こんな日付なんか関係ないような旅の中で、自分自身も忘れていたのだから、それは仕方ない事なのかもしれないけれど……
「ちぇ……」
俯いた視線の先には水溜り。浮かない顔の自分が映っている。
「べ、別に寂しくなんかねえんだからなっ!」
ただちょっと面白くないだけだ、と、水の中の自分を踏みつける。
パシャンという音と共に弾けたしぶきが足にかかった。
「……もう帰ろ……」
なんだか虚しくなってきてしまって踵を返した。
ブラブラと歩きながら川沿いの道に出た時、猫の鳴き声が聞こえた。
ニャーニャーと絶え間なく鳴き続ける大きな声はひどく切羽詰ったような感じだ。
見つけた声の主はキジ猫。
川に向かってしきりに鳴く親猫の横で仔猫もミャアミャアと不安そうに鳴いている。
(どうしたんだ?)
猫たちの視線を追うと川の中洲に行き当たった。
雨で水かさと流れの速さが増した川に今にも水没しそうな中洲。
なにかあるのかと目を凝らすと
「ああっ!」
茂った草の根元が動き、その合間に子猫の姿が見えた。
恐らく取り残されてしまったのだろう。
鳴き声も川の音に掻き消されてしまうほどの小さな仔猫。
親や兄弟の方に行きたいその仔は今にも川に足を踏み入れそうだが、泳いで渡るのは明らかに不可能だ。
しかし、雨は止んだばかり。川の水量はまだ増すだろう。
いずれにしろこのままでは溺れてしまう。
「伸びろ! 如意棒ー!!」
悟空は猫の親子の隣に駆け寄って、中洲に向かって如意棒を伸ばした。
「ほら! これを渡って来いって!!」
しかし突然現れた細く丸い橋に、取り残されている仔猫は驚いて怯えてしまったようだ。
草むらの中に逃げ込んで見えなくなった。
「おい! こら! 逃げんな!!」
仔猫を叱咤しつつ、悟空は内心困ってしまった。
助けてやりたいのにこれだ。ここからではどうしようもない。
その時、親猫がひょいっと如意棒に飛び乗った。
軽やかな足取りで如意棒をつたい、中洲に下りて、草むらの中に入り込む。
再び姿を現した時には仔猫を咥えていた。
そして上手にバランスをとりながら、決して渡りやすいだろうとは思えない橋を上ってくる。
悟空は微動だにさせないよう、しっかりと如意棒を固定し続けた。
「ニャー!」
無事に我が子を連れ戻した親猫が仔猫を降ろし、まるで『ありがとう』とでも言うように一声鳴いた。
「良かったな……」
足元に擦り寄ってくる猫たちを見ながら悟空はとても嬉しい気分になっていた。
「もうあんなドジすんなよ」
言いながら如意棒を持った手に違和感を覚えた。
( ? )
慌てて勢いをつけて伸ばした弾みで中洲の地面に埋まってしまった先が抜けず、固定されてしまっている。
「あれ?」
草の根に絡まってしまったのだろうか? 引っ張ってみても抜けない。
「クソッ! こら! 抜けろって!!」
力任せに押したり引いたりしてやっと抜けたのは、悟空が川岸の濡れた草に足を滑らせるのと同時だった。
「うわぁっ!!」
元の長さに戻った如意棒を手にした悟空の身体が宙を舞う。
バシャーーン!!
川は思っていたよりも深く、流れも見た目以上に速かった。
「あり得ねえぇぇーっ!」
叫びながら流されていく恩人を成す術もなく見送る猫たちの声は、もう悟空には届かなかった……
「あー、ひでえ目にあった……」
心身共に疲れた悟空がずぶ濡れのままやっと宿に着いたのは、もうそろそろ夕食という時間だった。
減り過ぎた腹の虫が激しく自己主張していたが、とりあえずシャワーと着替えが先。
それを済ませると冷えていた身体も温まって凹んでいた気分も少し持ち直していた。
濡れた頭をタオルでゴシゴシ拭いていると部屋のドアがノックされた。
「悟空ー、食事に行きますよー」
「やったー! メシ、メシー!!」
待望の声を聞いて、悟空は部屋から飛び出した。
五人で夕闇の町の中を歩いて着いたのは一軒の食堂だった。
「ここ?」
「ええ、そうですよ」
「でも『定休日』って書いてあんじゃん?」
その札のかけられた扉の中は暗く、人の気配も感じられない。
「大丈夫よ。いいから入って」
なんだか妙に嬉しそうなに促されて中に入る。
店内はやはり暗かったが、なにかとても美味そうな匂いが漂っている。
灯りが点いた瞬間、悟空は歓喜の声をあげた。
「うわぁー! スゲェーー!」
テーブルいっぱいに所狭しと並べられた、料理の数々。
その中央には蝋燭の立った大きな生クリームのケーキ。
薄いホワイトチョコには『悟空 誕生日おめでとう』の文字。
目をキラキラと輝かせ、口から涎を垂らさんばかりの悟空に、八戒とは微笑み、三蔵と悟浄はやれやれという表情をした。
「驚いた?
悟空、自分でも忘れてるみたいだったから、どうせならサプライズにって思ったのよ」
「気づかれないように準備するの、大変だったんですよ」
昨日のうちからこの食堂の人と話をつけ、八戒との二人で半日かかって調理したという。
悟浄が出かけていたのも暇つぶしを兼ねたこれの様子見だった。
「なあ! これ、全部、俺が食っていいの?」
「テメェの分だけじゃねーんだぞ! 猿!」
「だぁって、俺の誕生日のご馳走なんだろぉ?」
「うるせえ! 付き合わされるこっちの身にもなれ!」
なんだかんだと騒ぎながら席につく。
「とりあえず乾杯ですかね」
「ちぇーす」
「うぃーす」
「おめでとー」
「…………」
ビールとコーラとジンフィズのグラスが合わさる。
「いっただきまぁーーす!!」
美味しい料理とお菓子を前に幸せいっぱいな気分の悟空からは今日一日の「ツイてないこと」に関する記憶が一切消え去っていた。
借りた傘を忘れて帰ってきてしまったことが発覚し、三蔵からきついお小言とハリセンの一発を食らうのは、翌日の朝のこと……
end