欲しいモノ

――求めて、手に入れられなかった愛――

――罪の意識に家を出て行った背中――

その日から何かを望むことをしなくなった。
ずっと身体ひとつで生きてきた。
欲しいと思うモノなどなかった……はずだった。

辿り着いた町の酒場。
一人でカウンターに座る悟浄は、くさくさする気分を振り払おうとグラスを重ねていた。

イラつくのは、自分をこんな気分にさせる元となる人物に対してなのか、それを自分の目の前で手に入れた人物に対してなのか、手に入らないモノばかりを欲しがってしまう自分自身に対してなのか……

たぶん、全部だ……

酔いの回り始めた頭に、決して触れることのできない笑顔が浮かぶ。

――求めても手に入らないモノなら、いっそ壊してしまいたい――

時に、そんな凶悪な思いが頭をよぎる。

――それを知ったら、お前、どんな顔をする……?――

看板だと言われ、店を出ると外は雨だった。傘など持っていない。
足にはアルコールの影響が出ている。酔い覚ましのつもりでだらだらと歩いて宿に向かった。
今日は全員に部屋が取れたので、遅かろうが、酔っていようが、誰に文句を言われることもない。

真っ暗な部屋に入ったところで悟浄の意識もブラックアウトした。

翌朝、悟浄は違和感と共に目を覚ました。

寒い。
上半身は裸の身体に触れているのはベッドとは違う硬い感触。

見回すと、そこは床の上だった。

(……どーりで……)

昨夜、宿の部屋に戻ったところまでは覚えている。

この部屋にはユニットバスは付いていないが、とりあえず濡れた服は脱いだらしい。
そして、ベッドに辿り着く前に沈没してしまったのだろう。

身体を動かすと節々が痛む。床で寝てしまったのだから当然だ。
起き上がろうと持ち上げた頭もズキズキと痛んだ。

(二日酔いになるほど飲んじゃいねーと思うんだけどなー)

倦怠感を覚えながら昨夜のことを思い出す。
不毛な考え事をしながら飲んだせいで悪酔いしてしまったのかと自嘲した。

窓の外からはザアザアという雨音。
今日の出発はナシと判断し、ベッドに腰を下ろしてタバコを咥えようとした時、部屋のドアがノックされた。

「悟浄、起きてるー?」

ドア越しに聞こえるのは、『不毛な考え事』の対象の声。

「おー」

いつもなら返事をするとすぐに開くドアが開かない。

昨夜に限って何故か律儀に施錠してしまっていたようだ。
酔っ払いの所業なんてそんなものだと苦笑しながらロックを外し、ドアを開けた。

「良かったー。
さっき起こしに行った八戒が『呼んでも返事がないし、ドアにも鍵がかかってる』って言ってたから」

「で、バトンタッチして来てくれたんだ?」

「うん。『寝坊する奴は放っとけ』って、三蔵たちは先に食堂に行っちゃったんだけど、やっぱり食事は皆で摂りたいなって思って」

「……サンキュ」

感謝の言葉を口にしながらも、悟浄はイラつきを感じていた。

雨音が煩いせいか、頭が痛いせいか、昨夜の悪酔いのせいか……
いつもなら気にも留めないことが酷く癪にさわった。
の口から三蔵の名前が出てきた』ただそれだけの事なのに……

……」

名を呼びながら一歩踏み出した悟浄の視界が歪んだ。

「! ごじょ‥っ!?」

倒れこむように覆い被さってきた悟浄にが驚いた声をあげる。

そしてすぐに悟浄の異常に気付いた。

「……え……? ねぇ、ちょっと、悟浄! 熱あるんじゃない!? すごく熱いよ!!」

(あー、なるほど……)

「悟浄! 大丈夫? 悟浄ー!」

倦怠感や頭痛の理由に納得しながら薄くなっていく悟浄の意識の中での声が遠く響いていた。

意識を取り戻した時、悟浄はベッドの中にいた。
周りには呆れ顔の三蔵、悟空、八戒と、心配顔の

「まったく、いい年して何やってんですか?
酔っ払って、雨に濡れて帰って、半裸でしかも床で寝るなんて!」

なんでそんな事までわかるのかと訊く前に、続けざまに言われた。

「濡れたジャケットとシャツは脱ぎ捨ててあるし、床にあなたの身体の形に濡れた染みがありましたからね。
上半身より下半身の方がより染みが濃いって事は、つまり、そういう事でしょう?
そんな事をしたら、いくら悟浄でも風邪も引きますよ」

「だから、バカだってんだ」

「え? 『バカは風邪引かない』って俺にいつも言ってんの、悟浄だぜ?」

「……うるせー、病人に説教なんてすんじゃねーよ……」

自分が風邪を引いたことを面白がっているような三人に、悟浄はそう言うのがやっとだった。

「そうよ。まだ熱が高いんだから、今、そんなに叱っちゃ可哀想よ」

そう言いながら、は悟浄の額に濡れタオルを置いた。

その冷たさと、庇ってもらえたことが心地よかった。

熱や頭痛が治まって、悟浄の頭がはっきりしてきたのは夜になってからだった。

八戒が運んできた粥を食べる間も、食べ終わった後も、はずっと悟浄の部屋にいてくれた。
さすがに、汗に濡れた服を着替える時は後ろをむいていたが。

「俺なんかについてたら、三蔵がヘソ曲げんじゃねーの?」

嬉しいはずなのに、つい憎まれ口をきいてしまうのは何故だろう?

しかし

「そんな軽口叩けるんなら、もう大丈夫ね」

そう、安心したように笑った。

「平気よ。悟浄が倒れるなんてよっぽどのことだもん。私がついていたいの。
悟浄のこともとても大事だから……」

は優しく微笑んでいる。

慈愛に満ちた表情とはこういうものを言うのだろうか?

がこんな人間だから、捨てたはずの感情に、何かを欲しいと思う気持ちに、再び苦しめられることになった。

しかし……

今、ここで襲い掛かって、の身体に自分の跡を残すことは簡単だけど、それでは、本当に欲しいモノは手に入らない……

――求めても手に入らないモノなら、いっそ壊して――

だが、壊したとしても、たぶん、失くしたものの大きさを思い知らされ、苦しむだけだ。

どっちみち苦しいのなら、現状維持のまま、あの不遜な男がに愛想を尽かされる日を待つのも手かと思った。

少なくとも、は『友人』として、『仲間』として、自分の事も大事に思ってくれている。

夕方までの時間の大半をうつらうつらと過ごしたが、目を覚ました時には、いつもが傍にいた。

ずいぶんいい夢を見ているものだと思っていたが、それが現実だったのだとわかって、素直に嬉しかった。

「本当は、皆も心配してたのよ。
悟浄を着替えさせてベッドに寝せたのは八戒と悟空だし、三蔵もこの部屋にいる間はタバコを吸わなかったもの」

「そうかァ?」

毛頭信じないといった感じの悟浄には肩をすくめ、

「リンゴがあるけど食べる?」

と、話を変えてきた。

「ああ。食いてえな」

そう返事をすると、は悪戯っぽく笑った。

「ね、ウサギに剥こうか?」

「……ガキ扱いすんなって」

普通に皮を剥き、一口大に切られたリンゴは甘酸っぱく、美味かった。

『たまには風邪を引くのも悪くねえな』と思ってしまったことは、口には出さなかった。

力では奪えない。欲しいのは『心』だから……

end

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