幸せ
その時、はテーブルに座り、お茶の入った湯呑みを両手で包むように持って、にこにこ笑っていた。
昨日の雨のせいで不機嫌だった三蔵の様子が気になったから、買って来た薄皮饅頭を口実に部屋を訪ねた。
そうしたら、一緒にお茶を飲む流れになったのだ。
この宿では全員が一人部屋だったから、は自室まで自分の分の椅子や湯呑みを取りに行かねばならなかったが、三蔵と一緒に過ごせるのなら、それは大した手間ではなかった。
お茶を一口飲んで、は饅頭を手に取った。口にするとしっとりとした餡の甘さが口いっぱいに広がる。
「あ! 美味しい!」
最初は饅頭を置いてすぐに部屋を出ることになるかもと思っていたのに、こうして一緒に食べることができている。
一人部屋だから狭いし置いてあるテーブルも小さくて、必然的に三蔵の近くにいられる。
そんな嬉しさが饅頭をより美味しく感じさせていた。
「もっと買ってくれば良かった」
「悟空じゃあるまいし、そんなに食ってどうする」
「……私より食べるペースが速い人に言われたくないんですけど?」
そんな他愛ない会話を交わすことすら楽しい。
天気が回復しているおかげが大きいのだろうけど、自分も少しは三蔵の気分転換に役立てているのかと、はホッとしていた。
「あ〜……幸せ」
饅頭を食べながら感じていたことが、ほぼ無意識のうちに言葉になって出てしまい、三蔵に鼻で笑われた。
「なに? なんで笑うの?」
「ずいぶん安い『幸せ』だな」
「いいじゃない。私がそう思ったんだもん」
はそう言って指先で軽く口を拭い、『それにね』と、続けた。
「今はこんな世の中だから、こういう小さなことを大事にしたいなって思うの。
『幸せ』って絶対的なものでしょ?」
「『絶対的』?」
「うん。『幸せ』は誰かと比べて判断したり、周りが決めたりすることじゃなくて、本人がどう感じているかってことだと思う。
だから、相対じゃなくて絶対」
つい語ってしまったことに気付いて、はお茶を啜った。
なんだか恥ずかしくなってしまったのだ。
お坊さんを相手に自分は何を言っているのだろう。
「……お前らしいな」
その三蔵の口調は、半分、呆れているような感じにもとれたけど、はなんだか嬉しかった。
三蔵は気付いているだろうか?
にとって、今、この場が、どれほど沢山の『幸せ』に溢れているかということに。
食べられること、食べたものを美味しいと感じられること、独りではないこと、愛する人と一緒にいられること、健康であること、見えること、聞こえること、話せること……細かいことまで言い出せばキリがない。
なにより……三蔵に、皆に、出会えた仕合わせを、幸せに思う……
饅頭が全て二人の腹に納まり、至福とも思えたお茶の時間は終わりを告げた。
用件は済んだし、夕食の時にはまた顔を合わせるのだから、長居する必要はない。
「じゃ、自分の部屋に戻るね」
そう言って立ち上がり、椅子と湯呑みを手にドアに向ったは、ふと思い至って振り向いた。
「お饅頭を買ってきたのは三蔵だけにだから、このことは、皆、特に悟空には内緒ね?」
三蔵はふっと鼻を鳴らして
「ああ。面倒が増えるのはごめんだ」
と、答え、僅かに口角を上げた。
微笑みを返しながら、はまた見つけていた。
こんな些細な秘密を共有できることも、二人で笑い合えることも、ささやかだけど、大切な『幸せ』
end