Hold hands

深夜の森の中をは必死で走っていた。

先を行く三蔵に遅れないように、強く握られた手首が解けてしまわないように。

ガウン! ……ガウン!!

時折立ち止まっては銃口が火を吹き、妖怪を倒していく。

野宿の寝込みに襲撃を受けた。

人海戦術の敵は一行の分散化を成功させ、今は誰がどの辺りで戦っているのかもわからない。

雲に覆われた空は月の光さえまばらだが恐怖など感じない。
目の前に白く浮かびあがる背中があるだけでどれだけ心強いか。

今はこの背中に全力で付いて行くだけだ。
敵の攻撃をかわしながら、倒しながら、手を引き寄せてくれた三蔵に応えるためにも。
そう思っていたのに……

「あっ!」

右足が何か固いものを踏んだ。
次の瞬間には繋がれていた手が離れ、は派手に転んでいた。

「おい!」

三蔵が立ち止まり声を掛けたことはわかる。
しかし、足首の激痛に声を出すこともできない。

「おい! しっかりしろ!!」

「ごめん……なんか踏んで……足、挫いたみたい……」

身体を起こしながらそれだけ言うのがやっとだった。

まだ足に力が入らない。立てるようになっても走るのは無理だろう。
自分のしでかした最悪のドジには唇を噛み締めていた。

三蔵の舌打ちが聞こえる。
当然だ。かなりの数の敵を倒したが、まだ追っ手の気配はする。
こうしている間にも追いつかれているのだ。

しかしが転んでしまったのも無理はなかった。
暗く木が密集している場所を蛇行しながら進んでいたのだ。
這った根で足場も悪い。

ここは場所的に不利だと判断した三蔵は、足首を押さえてうなだれているを抱え上げた。

「しっかり掴まってろ」

それだけ言うと再び走り始める。

ここで足手まといだと思うくらいなら、とっくにジープから降ろしている。
敵の目的である経文を持っている自分に対する追っ手が一番多くなることはわかっていた。
それでもの手を引いたのだ。他の奴にこの役を譲ってやるつもりなど毛頭なかった。

走る自分が地面を蹴る振動はの足には辛いはずだ。

(適当な所で一気にカタをつける!)

しがみついているに回した腕に力を込め、三蔵はスピードをあげた。

少し走ると木の間隔が広くなってきた。
いつの間にか雲も晴れ、月明かりも届くようになっている。
手頃な茂みを目で探して、三蔵はその陰にを降ろした。

「そこでじっとしてろ」

「うん……」

自分の返事と同時に踵を返した三蔵の背をは泣きそうな思いで見ていた。

ただ走るだけの事さえ出来ず、三蔵に迷惑を掛けてしまった。
人ひとり抱えて走るなんてどれだけ体力を消耗するだろう。
おまけに戦うこともできないなんて……

零れそうになる涙を唇を噛んで堪えた。
今は泣いてなどいる場合ではない。

じきに追いついた妖怪の足音と声、銃声が聞こえ始めた。
身体を縮こまらせ、息を潜めて必死で気配を殺す。
今の自分に出来るのはそれだけなのだ。
物音を立てないようにじっと身体を強張らせ、耳にだけ意識を集中させていた。

やがて辺りが静まり返った。

のいる茂みに近づいてくる一つだけの足音は、聞きなれたリズム。

「済んだぞ」

はその声に心底ホッとしながら顔を上げ、右足を庇いながら立ち上がった。

「お疲れ様……もう、他に追っ手はいない?」

「妖気は感じねえからな」

「良かった……」

「足はどうだ?」

「捻挫だと思うけど大丈夫……早く皆を探さないとね」

「何故、俺があいつらを探さねばならん?」

「だって……」

「銃声は聞こえているはずだ。奴らがこっちに来ればいい」

「……」

は一瞬、唖然としたが、三蔵らしいと言えば三蔵らしい理屈だ。三蔵のこういう性格は三人も知っているはずだから、下手に動いて行き違いになっても困るだろう。
それに自分たちは襲撃を受けた場所から西に移動してきたはずだ。戻るよりも皆に来てもらった方が無駄がない。

「だが少し場所は移るぞ」

「 ? 」

「ここで待っていたいか?」

言われて辺りを見回せば妖怪の死体がいくつも転がっている。

「……ちょっと、ヤだな……」

「そういう事だ」

ヒョコヒョコとびっこをひくを再び抱えようとした三蔵だったが

「いい! 歩くから!!」

片足で跳ねて後ずさりながら断られてしまった。

ムッとした表情の三蔵にが言う。

「あの……さ、運んでもらうのは悪いから……肩だけ、貸してもらえる‥かな……?」

面倒を掛けっぱなしなのは申し訳なさすぎる。でも……

(これくらいは甘えさせてもらってもいいよね?)

返事を待たずにうつむいたまま三蔵に寄り添った。
背中に手が回されて、安心して三蔵の肩に手を置いた。

「ごめんね……」

「…………」

言葉は返ってこなかったけれど、グッと身体を引き寄せられたので、それを返事だと思うことにした。

こんな小さなことがしみじみと嬉しい。
互いに何も言わないまま歩いているだけなのに、の心は満ち足りていた。

少し歩くと泉のほとりに出た。
野宿するのにも良さそうな場所だ。ここで三人を待つことにした。

はしばらくの間、泉に腫れた足を浸して冷やしていたが、患部以外の部分が冷たくなりすぎてきたのでその辺にしておくことにした。

振り向くと三蔵は胡坐の片ひざを立て木の幹にもたれて目を閉じていた。

(……寝てるのかな……?)

申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが入り混じって、なんとなく何も話さないままでいたけれど……

本当は言いたいことが沢山あった。

起こさないように、音を立てないように、そっと近づいて三蔵の正面にひざをつく。

キレイな顔を見つめながら、この人に出会えて良かったと、心から思った。

(もう、日付、とっくに変わってるよね?)

慎重に木の幹に手をついて、少しずつ顔を近づけていく。

「……誕生日、おめでとう……」

小さく小さく呟いて、ほんの一瞬だけ、掠めるように唇を触れさせた。

すぐに顔も身体も離したけど、自分の顔が赤くなっているのはわかる。
こんなこと、特別な理由がなければ、そして三蔵が寝ている時でなければ、とてもできなかっただろう。

(起きなくて良かった……)

ホッとため息をついて、三蔵の少し横に腰を降ろした。
起こしてしまいそうだったから止めたけど、本当はもっと伝えたいことがある。

たくさんありすぎるけれど、一言でまとめるなら『ありがとう』だ。

生まれてきてくれて、生きていてくれて、出会ってくれて、助けてくれて、一緒にいさせてくれて……

『ありがとう』

そんなことを考えていると、不意に横にずれるように三蔵の身体が倒れこんできた。

「 ! 」

足を伸ばして座っているの膝の上に三蔵の頭がある。

(…………寝てるから……ね……)

少し慌てたし、かなり恥ずかしいけど、特別な日なのだからそのままにしておくことにした。

こちらに背を向けるように横になっている三蔵の顔は見えないけれど……
ただ、愛しさだけが胸に込み上げてくる。

そっと、頭を撫でてみた。

美しい金糸の髪は思いのほか手触りが良い。髪を梳くようにゆっくりと何度も撫で続けた。

「おい……」

「あ、起こしちゃった?」

「ガキ扱いするな……」

「これ、嫌?」

声を掛けられて止めた手を再び動かしながら訊いてみた。

「…………」

「嫌ならやめるよ」

「……やめなくていい……」

ボソッと聞こえた返事に小さく笑ってしまう。

「起こしてごめんね」

「……はなから寝ちゃいねえよ……」

「え……?」

の手が再び止まった。

「『寝てない』って……えぇっ!?」

うろたえるの膝の上で、三蔵が仰向けに向き直って手を伸ばす。

「お前の方からは初めてだな」

言いながらの頬に触れた三蔵の手の親指が唇をなぞった。

「!……」

真っ赤になったは口を開けても言葉が出てこない。

クッと笑われて無意識のうちに身体が逃げていた。

「「 痛っ! 」」

いきなり枕が無くなって地面で頭を打ってしまった三蔵と、慌てて傷めた足首を動かしてしまったの声が重なる。

「お前な……」

頭を押さえながら起き上がった三蔵の目に、足首を押さえてうずくまっているの姿が入る。

「バカが。急に動くからだ」

「だって、寝てると思ったからだったのに……」

「俺は『寝てる』なんて一言も言っちゃいねえぞ」

「…………」

そのとおりなのだが、それは屁理屈というものだろう。

「もう知らない」

膝を抱えたままスネてそっぽを向いたを、三蔵が後ろからそっと抱きしめる。

「『誕生日のプレゼント』ってヤツだったんだろう?」

「…………」

「もらって何が悪い」

「…………悪くない……」

ボソッと返した言葉に三蔵がフッと笑った気配がした。

「ねえ……、嬉しかった……?」

「さあな」

「何それ〜? じゃあ、もう二度としない」

そう言いながらは笑っていた。

否定はされなかったのだ。

それが嬉しかった。

「もっと寄越せ」

顎にかけられた三蔵の手に振り向かせられる。

「えっ? だから――」

『しないって!』と続けようとした言葉は三蔵の唇に吸い取られた。

相変わらずの強引さに内心ため息をつきたくなるが、実際に唇から零れるのは甘い吐息。

まだ伝えていない『ありがとう』の代わりに、顎を押さえている三蔵の手にそっと自分の手を重ねた。

顎から離れた三蔵の指がの指を絡め取る。

(……手を繋げる相手がいるって、倖せだね……)

この手をなくさないように、これからも、精一杯、ついていこう。

キスを受けながら指に力を込めた。

end

Postscript

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