away the tears
タバコを咥えながら悟浄は夜の街角を酒場に向かっていた。
もちろん、歩きながら声を掛けるべき女性を目で探すことも忘れない。
しかし……
(なかなか「コレ!」って決定打がねえなあ……)
可愛い子や綺麗な子はいても、いまいちピンと来ない。
その理由に心当たりがないわけでもないが、それには目を瞑った。
(ん? アレは……)
見知った後ろ姿を見つけて一瞬立ち止まる。
店先に足を止めて見入っている背中に、気づかれないようにそっと、しかし足早に近づいた。
「」
いきなり耳元で名を呼ばれて、は身体をビクッと跳ねさせながら振り向いた。
そこにあったのはニッと笑っている悟浄の顔。
「……びっくりしたぁ〜……」
「こんな時間にどうしたんだ?」
「昼間、買い忘れたものがあったから」
「一人で出掛けてっとうるさく言う奴がいるんじゃねーの?」
「だってすぐだもん。もう買ったし」
「で、ここで道草? 何、見てたの?」
「『道草』って……ちょっとガラス細工が綺麗だなって思ってただけよ」
小さなショーウィンドーの中には女の子が好きそうな小物が並び、一角にはガラス細工の人形やアクセサリーも並んでいる。
悟浄はそのうちの一点にの視線が向かっている事に気づき、訊いてみた。
「買わねえの?」
「今は旅の途中だから……失くしたり壊したりすると悲しいでしょ?
さ、もう帰ろっと」
「宿まで送ってくよ」
「いいの? 飲みに行くとこだったんでしょ?」
「別に誰かと約束してるわけでもねーし、散歩だよ、散歩」
「ありがとう」
(こういうのが悟浄のカッコイイとこだよね……)
夜の一人歩きを心配してくれてるのはわかる。
それをあえて口に出さない悟浄の気遣いにはちゃんと気づいていた。
二人で並んで宿に向かって歩いている時だった。
「きゃっ!」
誰かにいきなり後ろからぶつかられては転んだ。
ぶつかってきた男はそのまま走り去る。
その背中に向かって
「おい! 詫びくらい言えっての!!」
言葉を投げながら助け起こそうとする悟浄にが叫んだ。
「悟浄! 財布がない!!」
「なんだって!?」
「今の人、スリよ!」
が言い終わる前に悟浄は走り出していた。
も後を追うが脚力の差は歴然としている。
声や足音、勘を頼りに辿りついたのはアジトらしい小さな廃工場だった。
中からは数人とやりあう派手な音が聞こえてくる。
割れた窓のひとつから中を覗くと、丁度、最後の一人を悟浄が殴り倒したところだった。
(さすが……!)
心の中で拍手をしながら入り口に回る。
「悟浄……」
そっと声を掛けると、悟浄は財布を手に振り向いた。
「ほら、取り戻してやったぞ」
「ありがとう……」
受け取りながらは礼を言った。
「中に入ってるお金は大した額じゃないんだけど……」
「コレがサンやとお揃なんだろ?」
言いながら悟浄が財布についている瑠璃色のビーズボールを指先で軽くはじく。
「うん。そうなの……」
は財布を大事そうに両手で握り締めた。
「もう盗られんなよ?」
「うん、気をつける!」
「さ、こんなとこに長居は無用だ。行くぞ」
入り口から外に出ようとした時だった。
物音と気配に上を向いた二人の目に飛び込んできたのは頭上から降ってくる廃材の数々。
「!」
その声と同時に横へと突き飛ばされたが身体を起こして見ると悟浄のいた辺りにはうず高く鉄くずや鉄パイプが積もっていた。
「……悟浄……?」
「ザマぁ見やがれ!」
残っていたらしいスリの仲間の捨て台詞と逃げる足音はの耳には入っていなかった。
「いやぁーっ! 悟浄ーーっ!!」
が駆け寄って廃材を退かそうとした時、その山の一角が動いた。
「あー、ビビったぁ〜」
言いながら、悟浄が身体を起こす。
悟浄はとっさに錫杖を軸にチェーンを絡めながら広げ、ネット代わりにして防御していた。
を突き飛ばしたはずみで廃材の落下の中心点からズレていたことも幸いした。
「悟浄! 大丈夫!? ケガはない?」
「ああ。ピンピンしてるよ」
立ち上がり服についた埃を払いながら答えて悟浄は慌てた。
「……良かったぁ……」
ため息と共に吐き出された声。
そして、その前から頬に伝っていた雫……
「えっ……と……?」
「もぅ……びっくりしたんだからぁっ!」
怒ったような口調で言いながら、は両目からボロボロと涙を零し続ける。
「おい、泣くなよ!!」
の涙を見たのは術が解けた時以来だ。
悟浄は弱り果ててしまった。
「頼むよ……泣くなって……」
「誰のせいだと思ってるのよっ?」
しゃくりあげながら責められた。
心配の度合いがそのまま怒りにシフトしてしまったようだ。
「……やっぱ俺のせいになんの?」
女が泣くのは苦手だし、自分が泣かせてしまったというのには罪悪感を覚える。
けれど、自分のことを泣くほど心配してもらえたのが嬉しくて……
「悪りぃ……」
……思わずギュッと抱きしめてしまった。
細くて柔らかい身体。髪の甘い香り。優しいぬくもり。
胸に熱く込み上げてきた感情の名前は知っている。
そして、それを決して口には出せないことも……
「えっ!? ちょ‥ちょっと、悟浄?」
身じろがれて、腕の力を強くした。
(他の女に目が行かねーわけだ……)
……本当に欲しいのは……
「!? ‥っと……苦しい‥っ」
腕を解くと、は慌てたように後ずさり、驚いた顔で訊いてきた。
「な、なに?!」
「……涙、止まっただろ?」
そう言ってやるとはあんぐりと口を開け、その後ため息をついた。
「あれ? もう怒んねーの?」
「そんな気力、失せたわよ……」
「そりゃ良かった」
「もう……」
は再びため息をついた後笑い出した。
「悟浄って、本当に悟浄ね」
「それって『イイ男』の代名詞ってこと?」
笑いながらコクコクとうなずくの頬にまだ少し残っていた涙を指先で拭ってやる。
「ったく、泣かせたなんてバレたらアイツらに何されっか……」
「そんな大げさな……」
「いや、タダじゃすまないって」
「まさか」
「いーや、命がいくつあっても足りねえって、マジで」
コロコロと笑い続けるの背中をポンと叩いて
「さ、今度こそ帰ろうぜ」
と促した。
(泣かせちまった分、ちゃんと笑わしてやっから……)
その後の道中も悟浄は軽口や冗談をとばし続け、宿に着く頃にはは笑いすぎで目に涙を浮かばせていた。
が宿に入るのを見届けて悟浄はまた出掛けたが、飲みに行くのは取りやめ、行き先も酒場から変更した。
手早く用件を済ませて宿に戻る。
今日の部屋割りは全員一人部屋。
この時間ならまだ起きているだろうし、取り込み中でもないだろう。
ノックすると聞こえるの声。
「はい?」
「俺」
答えるとドアが開かれた。
「悟浄?」
「入っていい?」
「うん、どうぞ。出掛けたんじゃなかったの?」
「コレだけ買って戻ってきた」
リボンのかけられた小さな包みをに渡す。
「 ? 」
「やるよ。泣かせちまったお詫び」
「そんな気を使わなくていいのに……」
「ま、『気持ち』ってヤツ?」
「ありがとう……開けていい?」
「ああ」
嬉しそうににっこりと笑って包みを開けたが少し驚いた声をあげた。
「あっ! これ……」
中に入っていたのは金色のチェーンと小さなペンダントトップのセット。
その日の気分で変えられるガラスのトップは無色、紫、青、緑、黄色、ピンク、赤の七つ。
「さっき、それ見てただろ?」
「うん……これね、『皆の瞳の色が揃ってるな』って思いながら見てたの……」
(じゃあ、紫が使われる頻度が圧倒的に多くなるな……)
そう思えば少しばかり寂しいのが本音だが
「すごく嬉しい! ありがとう、悟浄!!」
喜んでくれたのだから良しとした。
「どーいたしまして」
「ねえ? 私って色に例えると何かな?」
「んー、そうだなー……青……とか? ……よく青い服着てっし」
「じゃあ……」
は悟浄の見ている前で、チェーンにトップを通し始めた。
「って、おい、そんなに?」
黄色、紫、青、赤、緑、無色……次々とピンク以外の六つを通したは
「これで、皆一緒!
……赤は悟浄と被ってるからジープは白のイメージで、透明ね」
と、満足そうに笑った。
「……それってアリ?」
「いいの! 一つ一つが小さいからこうしても可愛いでしょ?」
「……好きに使ってくれ」
「もちろん!」
六つ連なったペンダントトップは雫型。
が流してくれた涙の形。
たまたまなのだろうが、青の横に赤が並んでいることを嬉しく感じてしまう。
時々こちらの予想を上回る言動をするだから、よそ見が出来ない。
(参ったね。まったく……)
の部屋を後にしながら当分ナンパに出掛ける気にはなれないだろうと自嘲する悟浄だったが、不思議と悪い気分ではなかった。
その理由は……考えないことにした。
end