Baby-Baby

「あ〜あ、やっぱ、なんもねえなあ……」

悟空は溜息をつきながらつぶやいた。

今日も野宿。
買い置きの夕食では悟空の食欲を満たすことなどできるはずもなく、いつものように悟浄と食材の取り合いのケンカをした勢いでその場を飛び出し、そのまま食べられる木の実でもないかと夜の森の中をうろついているのだった。

「歩いてんのも腹へるしなあ……」

戻ろうとしたところで、近くの茂みから何か物音が聞こえた。

「 ? 」

覗いてみると人間が仕掛けた罠にかかって立ち上がれず、もがいている動物がいた。

「なんだ?」

それは初めて見る動物だった。
馬のようでもあるし、鹿のようでもあるが、決してそのどちらでもなかった。

白い体に金色のたてがみ、そして額には角……
まだ小さな子供らしいが、その姿には神々しい雰囲気があった。
白い後ろ足に滲んだ血が痛々しい。

「うわぁ、イタそー……ちょっと我慢しろよ!」

悟空は罠を外してやった。

「お前、まだ子供だろ? きっと、親が心配してるぞ?
……って、俺には親なんかいねえから、よくわかんないけどさ」

その動物は吸い込まれそうな澄んだ瞳で悟空を見つめた後に、森の中に消えていった。

「……俺も帰ろ……」

歩き出す悟空の空きっ腹がギュルギュルと鳴った。

深夜、夢の中で、悟空は誰かに呼びかけられた。

姿は見えない。声だけが響いてくる。

「さっきは、ありがとう」

「さっき?」

「僕を助けてくれて」

「ああ! 別にいーって」

「お礼に教えてあげる。『親がいる』ってどんな感じなのか」

「へ?」

「一日だけだけど楽しんでね」

「おい! ちょっと……」

『待てよ』と続けようとしたが、悟空の意識はスーッと遠のいていった。

「んー、いい天気ですねえ」

朝、目を覚ました八戒がジープの上で伸びをする。

(さて、皆を起こしますか)

振り向いた目が丸くなった。

「! …………三蔵! 悟浄! ! 起きてください!!」

「……?」

「なんだよ、朝っぱらから……」

「ん〜……」

それぞれに眠そうに返事をして三人が目を覚まし

「ちょっと見てください」

八戒が指差すジープの後部座席に視線を移して、言葉を失った。

誰もが無言の中、鳥のさえずりや小川のせせらぎだけが聞こえてくる。

しばしの沈黙を、最初に破ったのはだった。

「か〜わい〜いっ!!」

「って、おい! これ、猿なのか?」

「なんだってこんなことになってやがんだ!」

「森の中で、なにか変なものでも拾って食べたんですかねえ……」

……悟空がいるはずの場所にいるのは、赤ん坊だった。

茶色の髪、額にはミニサイズの金鈷、そして、四人の声に目を覚まし、開いた瞳は金色。
そのきょとんとした表情は、確かに悟空のように見える。

「うっわ〜! めちゃくちゃ可愛いっっ!」

ぶかぶかの悟空のシャツに包まれた小さな体を、満面の笑みを浮かべたが抱き上げた。

困惑する三人の前で、は悟空――と思われる赤ん坊――に頬ずりなどしている。

「……動じてねえな、コイツ……」

「異常事態に免疫でもついてるんですかねえ?
……いろんな目にあってきた人ですから……」

「ンなことより、どーすんだよ!? これ!!」

「どうするもこうするもねえだろう」

「ここに置いていくわけにもいきませんし……
とりあえず、次の町に急ぎましょう」

買い置きの食糧で手早く朝食(悟空には缶詰のフルーツ)を済ませ、ジープをとばした。

「え? まだ足りないの?」

宿の部屋で悟空を抱いてミルクを飲ませていたはさすがに驚いた。

「赤ちゃんになっても悟空の食欲は変わらないのね……」

昼前に着いた町で飛び込んだ家族経営の小さな宿に、子供がいたのが幸いした。
その子が赤ん坊だった頃の服や布オムツ、哺乳瓶等を借りることができたのだ。

「何か離乳食っぽいもの作ってくるから、ちょっとお願い」

そう言うに渡された悟空を、三蔵はうっかり受け取ってしまった。

「おい! 俺に子守りをさせるつもりか?」

「だって、三蔵しかいないんだから仕方ないじゃない」

八戒と悟浄は買出しに行っている。

「それに悟空の保護者は三蔵でしょ? じゃ、よろしく!」

そう言うとはさっさと部屋を出て行ってしまった。

「……俺にどうしろってんだ……」

思わず視線を落とした悟空は三蔵の膝の上で無邪気に笑っている。

子供の抱き方など知らないが、手で支えていないと、頼りない小さな身体は膝から落ちてしまう。

悟空は三蔵の不機嫌な顔にも怯まず、アブアブとかなんとか言いながら、手を伸ばしてくる。

(アホヅラは変わらねえな……)

「誰でもいいからとっとと戻って来やがれ……」

三蔵は溜息をつきながら毒づいた。

「てめぇ! なにしやがる!!」

買出しから戻った八戒と悟浄が開いたドアから、三蔵の声が漏れた。

「おう、戻ったぞ」

「どうしたんです?」

部屋に入った二人は吹き出した。

椅子に座った三蔵が両手で悟空を持ち上げているのだが、むずがる悟空の臀部から滴った液体が三蔵の着物まで濡らしている。

「……あー、悟空、やっちゃったんですねー」

八戒は必死で笑いを抑え

「ぎゃーっはっはっはっ!!」

悟浄は思い切り笑い飛ばした。

三蔵のこめかみに青筋が浮く。

「どうしたの?」

悟空用の食事を作って戻ってきたも、

「ぷっ!」

二人の様子を見て吹き出した。

「……てめぇら……」

「怒んないでよ。悟浄が同じ目に合ってたら、三蔵だって絶対面白がるでしょ?」

食事を載せたトレイをテーブルに置いて、は三蔵の手から悟空を受け取った。

「よしよし、気持ち悪いねー……いっぱいミルク飲んだもんねえ」

悟空を片手に抱いて片手で布オムツを取り出すに、八戒が声をかけた。

「ああ! 僕が換えます!」

「ん? 私だってオムツの交換くらいできるわよ? 子守りのバイトしてたし」

「いえ、それはわかりますけど、その子は悟空なんですよ?」

「…………」

八戒が言わんとしているのは、非常に微妙でデリケートなプライバシーが絡んでくる事だという事……

「わかった。じゃ、お願い」

は悟空を八戒に渡し、背を向けた。

孤児院時代に見たシスターの手順を思い出しながら作業をする八戒の手元を見る悟浄が笑った。

「あーあ。お猿ちゃんたら、こんなとこまでミニサイズになっちゃってまあ」

「「 悟浄…… 」」

八戒との呆れた声が重なった。

「ふふっ、寝ちゃった……」

オムツを換えてもらって、用意された食事をペロリとたいらげて、悟空は寝息を立て始めた。

の胸に顔を埋めて、とても気持ち良さそうに眠っている。

「じゃあ、少し遅くなったけど、僕たちも食事に行きますか」

「コイツはどーすんだ?」

「もちろん、私が抱っこして連れてくわよ」

は膝に乗せていた悟空を縦抱きに抱き上げる。

「……好きにしろ」

が悟空の傍から離れたのは食事を作りに行った間だけで、それ以外の時はずっと抱いている。

「そんなにずっと抱いてると、クセになっちゃいますよ?」

「いいの。
赤ちゃんはね、抱きグセがつくくらい抱っこして『愛されてるんだよ〜!』って教えてやったほうがいいのよ」

「……新しい人形を手に入れた子供だな、まるで」

「つーか……母性本能全開って感じ?」

「でも、きっと、いいお母さんになりますね、は……」

「「 ………… 」」

が母親になった時、傍にいる男が誰なのか、想像したくない悟浄と、想像できない三蔵だった……

ずっと悟空は眠っていたので、四人は落ち着いて食事を摂ることができた。

(こんなに静かにごはん食べるのって、初めてじゃないかな?)

赤ん坊の悟空はとても可愛いけれど、はなんだか寂しかった。

食事を終えて宿に戻る道中、目を覚ました悟空がもぞもぞと動き始めた。

「あ〜! う〜!」

「どうしたの、悟空?」

まるでの腕から逃れたがっているように、手を前方に伸ばしている。

「 ? 」

立ち止まって振り向いた三蔵のシャツをその小さな手が掴んだ。

「三蔵の方がいいの?」

「はあ? 俺にこれを抱けとでもいうのか?」

「やっぱり、無理?」

そんなやりとりを見ている悟浄が呟いた。

「なんかムカツク図だな……」

悟空に濡らされて洗った法衣が乾いていなくて白いシャツを着ている三蔵は、とても僧侶には見えない。

「……『子連れの若夫婦』って感じに見えちゃいますね……」

悟浄と八戒の溜息が重なった。

宿に戻ってからも、はかいがいしく悟空の相手をしていた。

全員が、このまま元に戻らなかったら……という不安を抱えてはいたが、あえて誰も口には出さなかった。

夜。宿の大部屋、並べた布団の上を悟空は這い回っていた。

「もう! 悟空ったら、布団がぐちゃぐちゃになっちゃうでしょ〜!」

抱き上げたの腕の中で、もがくように動いていた悟空がふいに静かになる。

「ひゃっ!!」

次の瞬間、が変な声をあげた。

見ると、悟空がの胸を小さな手でむにむにと揉んでいる……

「ちょっ、ちょっと、悟空! 私、母乳は出ないからっっ!!」

「この猿! ガキをいーことになにやってんだ!?」

悟浄が、慌てるから悟空をひったくった。

「きっとお腹がすいたのね。
ああやって刺激すればお乳の出がよくなることを、赤ちゃんは本能で知ってるのよ。
大丈夫、ちょっとびっくりしただけだから……何か作ってくるね」

はそう言って部屋を出て行き、戻って来るまでの間、三人は悟空に手を焼かされた。

悟浄は髪の毛を引っ張られ、暴れる悟空に蹴りやパンチ、そして頭突きをいれられた。

「いてーっ! この猿、ガキになっても馬鹿力は変わんねーな」

たまらず布団に降ろすと、悟空は這い回って、さっきから我関せずとばかりに横になっていた三蔵をよじ登る。

「バカ猿! 何、人の上に乗ってやがる!」

三蔵が身体を起こすと、悟空は布団の上に転がり落ちた。

びっくりしたように、きょとんとしている。

泣いてしまうのか、と、やがて聞こえるだろう大きな泣き声に一瞬身構えた三人だったが、悟空はキャラキャラと笑いだした。

そして、また三蔵によじ登る。

「あー、気に入っちゃったんですねえ」

「俺で遊ぶな!!」

三蔵の怒鳴り声にビクッと驚いて

「ふぇっ……ア゛―――ン!!!!」

今度こそ泣き出す。

「あ〜あ、三蔵サマったら泣かしちゃって」

「大人気なく大きな声を出すからですよ。よしよし悟空、大丈夫ですよー!」

抱き上げた八戒の腕の中でしばらくあやされて、やっと泣き止んだが、それで大人しくなる悟空ではなかった。

八戒の手から逃れたがって暴れ、八戒は眼鏡を弾き落とされた。

「悟空……! ちょっと悟浄、お願いします」

悟浄に悟空を手渡して拾った眼鏡のレンズには悟空の手形がくっきりとついていた。

(これって、やっぱり、涙と鼻水とよだれ……ですかね……)

三蔵に『大人気ない』と言った手前、怒れない。

自嘲的な笑みを浮かべ、黙々と眼鏡を拭く八戒が、悟浄にはとても恐ろしく見えた。

(あー、怒ってる。怒ってる……)

そんな事を思っていると、いきなり何かでスコンと頭を叩かれた。

「てっ! なんだァ?」

悟浄が抱いた悟空が手にしていたのは、ミニサイズの如意三節棍。

「テメ、そんなもん出しやがって!!」

悟空は嬉しそうに、ブンブンと三節棍を振り回す。

「悟空! それはおもちゃじゃないんですよ!?」

「さっさと取り上げろ!」

「そんなことしたら、また、泣いちゃいますよ」

三蔵と悟浄は赤ん坊の世話などしたことがあるはずもなく、八戒も孤児院にいた頃、少しシスターを手伝った程度。

男三人で相手をするのはいい加減限界だと思った頃、やっとが戻ってきた。

「遅くなってごめんね」

簡単な食事を作るついでに、夜中、悟空が空腹を訴えてもすぐミルクを与えられるよう、お湯や哺乳瓶の準備をしていたという。

悟空もさすがに食べている間は大人しかったが、その後はまた布団の上を這い回る。

「……なんだって、こっちにばかり来やがるんだ……」

「悟空ってば、さっきから三蔵の後ばっかり追いかけてるわよね」

「やっぱ、自分の飼い主はわかってんだな」

「隣で寝てやればいいじゃないですか」

「………」

と、悟空が三蔵によじ登り、頬ずりをした。

「あ? なんか濡れてるぞ?」

「そりゃー、よだれじゃねーの?」

「ッ!」

つい、いつものクセでハリセンを手にしてしまったが、にっちゃぁ〜! と笑いかける悟空の笑顔に毒気を抜かれた。

「…………顔、洗ってくる……」

忌々しげに呟いた三蔵が部屋を出た瞬間、三人は爆笑した。

結局、その夜は一番端に、悟空を挟んで三蔵、八戒、悟浄の順で並んで寝た。

夜中、動くものの気配に目を覚ました三蔵が見たのは、悟空にミルクを与えているの姿だった。

穏やかで優しい笑顔を浮かべ、しっかりと悟空の目を見ながら飲ませている。

自分の知らない『母親』とは、こういうものなのだろうか?

それは悪くない光景のように思え、三蔵を穏やかな眠りに誘った。

しかしその後も、寝相の悪さはかわらず眠っていてもゴロゴロと転げまわる悟空に、何度か起こされる三蔵とだった……

翌朝。最初に目を覚ました八戒の目が昨日のように丸くなった。

八戒が見たのは、着ていた産着が破け、すっ裸で、すごい寝相をさらしている元の姿の悟空。

三蔵の身体の上に足を投げ出し、頭をの胸に抱きこまれ、気持ち良さそうに寝息を立てている。

「…………」

元に戻ったのはいいとして、このままではが目を覚ましたら悲鳴をあげてしまうだろう。

とりあえず悟空に毛布をかけてやりながら八戒は、宿の人に対する赤ん坊が消えた事と連れが一人増えた事の言い訳をどうしようかと頭を悩ませるのだった。

「……いったい、なんだったんでしょうかねえ?」

ジープを走らせながら、八戒が言った。

「おおかた、森ん中で何かしでかしたんだろう」

「本当になンも覚えてねーのか?」

「うん。なんか変な夢、見たような気もするけど忘れたし」

「忘れたァ? 人に散々、面倒かけやがっといてそれかよ?」

「……ずっと悟空の世話をしていたのはですよ。悟浄」

「俺がかけられたのは迷惑だ」

「三蔵サマは他のモンもかけられてたよな?」

「殺すぞ、てめェ……」

「でも、悟空、すっごく可愛かったんだよ〜!」

一応、男なのだから『可愛い』という形容詞は悟空を少し複雑な気分にさせたが、の笑顔がとてもキレイだったから、『まあ、いいか』と思った。

薄っすらだけど、なんとなく覚えてる。

とてもあたたかくて、柔らかい感触。

とても安心できて、気持ちよくて、しあわせな感覚。

「へへへっ……」

「何、笑ってんだよ? 猿!」

「なんでもねぇよ! ……あー、ハラ、減った〜!」

心はほっこりとしていても、やっぱり、悟空にとって最優先されるのは食欲だった……

end

Postscript

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