ありがとう

落胆、困惑、不快――感情の種類に多少の違いはあったものの、その建物の前で三蔵一行の五人は一様に脱力感を覚えていた。

野宿の後、夕方になってやっと辿り着いたのは小さな村だった。
そこに一軒しかないという宿を探し当てたのだが、しっかりと施錠された入り口のドアにあったのは「休業中」の張り紙だったのだ。

「閉まってんじゃん。今夜、どうすんの?」

「どーするもこーするも……どっか他に泊まれるとこ探すしかねーだろーが」

「お寺さんでもあると頼みやすいんだけど……」

「もしくは村の有力者の方に口利きをお願いするかですね」

「チッ! 面倒くせぇ……」

宿に泊まれないとなると諦めて野宿するか、や八戒が言ったような方法を試すかしかない。

しかし、後者の場合、代金を請求されることはなくとも、説法をせがまれたり、家人や近隣の住人の注目を浴びてしまったりと、煩わしいことが多くなるのだ。
その煩わしさが最も集中してしまうのは三蔵であり、四人もその不機嫌のとばっちりをくう可能性は高くなる。

だが、せっかく人里にいるのに野宿というのも釈然としないし、最悪、不審者として警戒されかねない。

旅行者にとって『宿屋を使えない』という事態は厄介極まりないのだ。

「なあ、俺、ハラ減ったよぉ〜!」

「とりあえず食堂にでも入りますか。そこで何か情報が得られるかもしれませんし」

「そうね、もう閉める準備を始めてるお店もあるみたいだから、食堂が開いてるうちに食事だけでもしておいた方がいいかも」

「なんだぁ? 夜の早ぇ村だな」

「とにかく、ここにこうしてたって仕方ねえ。行くぞ」

買い出しは明日にならなければできないようだし、どこでどう夜を明かすことになるにしろ、腹は満たされていた方がいいに決まっている。
五人は食堂を探した。

思いがけず今夜の宿が確保できたのは、見つけた食堂で食事を終えた時だった。

食後のお茶を啜りながら、食堂の人に『どこか泊めてもらえるようなところはないか』と訊ねていたところ、声を掛けてきた人物がいたのだ。

『三蔵法師様のご一行とお見受けしますが、少し私の話を聞いていただけないでしょうか?』と、言葉は丁寧に、しかし押しは強く言ってきたその人は、どことなく威厳を感じさせる初老の男で、この村の村長だと名乗った。

こういうセリフを投げかけられた時は、その後、五人にとってはあまり好ましくない展開が待っているケースが多い。
その例にもれず、この男も『恐れ入りますが』だの『勝手を申しますが』だの、遠慮がちな前置きを並べながらも、少々面倒な頼み事をしてきた。

要約すれば、『村から少し西に行った山に妖怪の一団が住み着き、村や街道を通る商人たちに被害が出ている。それを退治して欲しい』と言うのだ。

更に『引き受けてもらえるのなら、宿泊場所や滞在中の食事、必要な物資も提供する』とまで言われ、打算と妥協の結果、一行は村人の要望を聞き入れたのだった。

「な〜んか、足元見られたみてーで釈然としねーなー」

「もう引き受けたんだし、それで宿にも泊まれるんだからいいじゃん」

「諦めろ。どのみちその妖怪たちとはやりあうことになる。
この村を出りゃ西に向かうんだからな」

「どうせ戦うのなら、退治を請け負って宿や物資の提供を受けた方が得策というものでしょう。
世の中、持ちつ持たれつですよ」

食堂を出てしばらく後、男四人は浴室で汗を流しながらそんな会話をしていた。

村長が用意した宿泊場所は例の村に一軒だけの宿だった。
休業中ではあったものの、村長のたっての頼みとあって一行を受け入れてくれたのだ。

『部屋の準備が済むまでの間、風呂にでも入りながら待っていてくれ』とのことで、その女将の言葉に従っている。

三蔵は『なんでお前らと一緒に入らなきゃなんねえんだ』と眉間に皺を寄せたが、『部屋にも入れないのにどこで待つんだ?』『宿の人間の目に入るとこで待ってたら「早くしろ」ってプレッシャーかけてるみてーで感じ悪いだろ?』『そんなことしないでくださいね。休業中のとこに飛び込みで入ったってだけでもう十分ご迷惑を掛けてるんですから』と口々に返されて反論する気が殺がれ、結局、湯に浸かっているのだった。

「昨日は野宿だったから、さっぱりして気持ちいいなあ〜!」

「ここ、小せぇ宿のくせに風呂は多いよな?
男湯と女湯の他に家族風呂まであったろ?」

「脱衣所に効能書きがありましたからこれ温泉ですよ。
『せっかく温泉を引いたんだから』ということなんじゃないですか?」

「まあ、たまにはゆっくり温泉も悪くはねえがな」

一行が泊まることになったこの宿は部屋数も十足らずの小さな規模だったが、風呂は充実していた。
急遽、湯を張った割にその待ち時間は思っていたよりも少なかったので、温泉の湯量は豊富なようだ。

一般家庭よりは広いが大浴場というほどには至らない浴槽では悟空も泳ぐことはできず、四人は比較的静かにのんびりと湯を使った。

風呂から上がって脱衣所を出ても、四人はすぐには部屋に向かわなかった。
それぞれの風呂への入り口が並んだ廊下の奥に自販機のコーナーを見つけ、覗いてみたのだ。

広めにスペースがとってあるそこにはソフトドリンク、アイスクリーム、酒類、おつまみと、風呂上りには欲しくなりそうな物の自販機が並んでいた。
他に数脚のパイプ椅子とマッサージチェアも二台あったので休憩室も兼ねているようだ。

この村に着いて以降、まだ買い出しは出来ておらず、手持ちの飲食物など無いに等しい。
四人がこれ幸いと思い思いの物を買っているとがやってきた。

「あ、皆、お風呂、上がってたのね? 丁度よかった」

と、少しホッとしたように笑ったは、部屋に入れるようになったから呼びに来たのだと続けた。

「あれ? 、まだ風呂入ってないの?」

「うん。部屋の準備、手伝ってたから」

「そんな事、宿の人間に任せておけばいいだろう」

「そーそー、こっちは妖怪退治まですんだぜ?」

「んー、でも、人手が足りないみたいだったから」

「ああ、休業中ですから、従業員もいないでしょうしね」

「それがね、――って、続きは部屋に行ってからね」

言い出しかけた話を、一旦、引っ込めて、は四人を先導した。

案内された部屋は五人で使える大部屋で、急ごしらえにしては、居心地は悪くなさそうだ。

風呂上りの男たちはベッドや椅子に腰掛けてビールだのコーラだのを呷り、は『お手伝いしながら聞いたんだけど――』と、話を再開させた。

それによると、夫婦二人だけでこの宿を切り盛りしていたのに、夫が妖怪に襲われて重傷を負ってしまい、人手不足に加えて怪我人の世話もあるので休業せざるを得なくなってしまったということらしい。
一行を受け入れてくれたのも『ケガをさせられた主人の敵討ちをしてくれる人たちなら』という気持ちからだったようだ。

そんなの話に、適当に相槌を打ちながら聞いていた四人だったが、締めの一言には大きく反応せずにはいられなかった。

は最後に言ったのだ。

「だからさ、妖怪退治、頑張ろうね」

『頑張って』ではなく『頑張ろうね』――自分も行く気だからこそ選択された言葉だ。

「「「「 はぁ? 」」」」

異口同音にそう声を揃えた後、

「お前を連れて行くわけがないだろうが!」

「そうだよ! 危ねえじゃん!」

「そこいらの妖怪相手なら、俺らだけで楽勝に決まってンだからよ」

「心配せずにここで待っていてください」

四人は口々に言って、を止めた。

足手まといだと言うつもりはないし、に自分の身は自分で守れる程度の実力があることも知っている。
だが、出来るだけ戦わせたくないと思うのが人情であり、男としてのプライドでもあった。

「……やっぱり?」

と、肩を落としただったが、止められることもわかっていたのだろう。

「わかった。買い出しとかしながら待ってる」

聞き分け良くそう言ってくれたので、四人はホッと息を吐いたのだった。

翌日。
を宿に残して妖怪退治に出掛けた四人は、妖怪が住み着いたという山の中ですっかりやる気を失くしていた。

「本当にこの山なのかよ? 妖気のカケラもねーぞ?」

「あの情報は信頼できると思いますよ? もう少し探してみましょう」

依頼してきた村長や他の村人の話によると、妖怪を恐れて誰もこの山には近づかないので正確な場所までは把握できていないが、今まで被害に合った場所の位置関係や近辺の地形、命が助かった被害者が耳にした妖怪たちの会話等から推し量ると、妖怪たちのアジトはこの山のどこかとしか考えられないとのことだった。

四人は妖気を感知することもできるので行けばわかるだろうと高をくくってここまでやってきたのだが、妖怪を見つけるどころか、妖気すら感じられないでいた。

元々あまり乗り気ではなかった妖怪退治だ。
無駄足を踏まされたのかもしれないと疑心暗鬼になれば、士気も下がるというものだ。

「なあ、俺、ハラ減ったよ〜! そろそろ昼だし、これ、食ってもいいだろ?」

「……勝手にしろ」

悟空がねだったのは、宿を出る時にが持たせてくれたものだ。

『留守番だけじゃなんだから作ってみたの。念のために持ってって』と、渡された袋の中には一つ一つラップで包まれた握り飯が入っていた。
その時は、すぐに帰ってこられるだろうがせっかく作ってくれたのだし、悟空がいるから荷物にもならないだろうと思って受け取ったのだ。

「あっ! こら、猿! こっちにもよこせ!」

「……ったく……遠足じゃねえってんだ」

「でも、せっかくが作ってくれたんですよ?
敵の気配もないし、いただきましょう」

「やーりぃ! シャケだ!」

もらったその場ですぐにでも食べたそうだった悟空には『食うのは厄介事を片付けてからだ』と言い聞かせて山に入ったのだが、正解だった。
最初は正直、不要だとも思ったのに、まさか、本当にそれを昼飯にするハメになるとは。

少々、複雑な気分と共に簡素な昼食を済ませ、四人は妖怪の捜索を続けた。

その後、一仕事終えてアジトに戻ってきたらしい妖怪の一団とやっと遭遇したのは日も落ちようとしている頃だった。
一日、無駄に山中を歩かされ、いい加減イラついていた四人はその鬱憤を妖怪たちにぶつけた。

結果、宿に泊まるための交換条件だった『妖怪退治』は、あっという間に完遂でき、村に戻った四人は村長を始めとする村人たちの歓喜と感謝の声に迎え入れられたのだった。

その夜、男四人は昨夜と同じように風呂上りの喉を潤していた。

昨日と違うのは、それが宿の自販機で買ったものではなく、が日中に店頭で買い、部屋に備え付けの冷蔵庫に入れていたものだということだ。

は明るいうちに買い出しや洗濯を済ませ、予想よりはるかに遅く四人が帰った時は全開の笑顔で出迎えてくれた。

そのは今、風呂に行っている。
昨日も今日も、一人だけなのに広い女湯を使うのは無駄だからと、ふだん女将も使っているという家族風呂を利用しているそうだ。

「しっかし、不毛な一日だったよなー」

「……確かに『敵が出掛けている』という可能性も考えておくべきでしたね」

「俺はけっこうおもしろかったぜ? おにぎりも美味かったし」

「楽しんでんじゃねえよ。『遠足じゃねえ』っつっただろうが」

そんなふうに今日を振り返っていると、部屋のドアがノックされ、四人はそちらへと意識を向けた。
ならノックなどせずに入ってくるはずだ。

八戒がドアを開けるとそこには宿の女将が立っており、まず『夜分、お寛ぎのところ申し訳ありません』と、頭を下げ

「あの……ちょっと手を貸していただきたいことがあるんですが……」

と、続けて、困ったような笑顔をした――

「……で、これがその『困ったこと』ですか?」

「……はい」

案内されるまま女将についていった先は宿の自販機コーナーだった。

女将が指し示したのは、一台のマッサージチェア。
そこにはが眠っていた。

「起こせばいい事だろうが」

呆れて呟いた三蔵が揺り起こそうと伸ばした手を、女将がそっと押さえて止めた。

「起こすのがしのびないから、皆さんをお呼びしたんです」

「『しのびない』……って?」

「ま、確かに気持ちよさそーに寝てっけど」

そんな話し声にもは目を覚ます気配がない。

「実はですね――」

女将は静かに説明を始めた。

は今日、買い出しや洗濯といった自分の用事をしながら、宿のこともいろいろと手伝ってくれたという。

『おかげで、急にケガ人を抱えて手が回らないまま溜まっていくだけだった雑用のほとんどが片付いた。これでしばらくは何の気がかりもなく、看病に専念できる』と、お礼を言った女将には言ったそうだ。

『大変な時に、急に無理を言って泊めていただいてるんですから、これくらいはしないと申し訳ありません。
それに、皆は命懸けで妖怪退治に行ってるんです。
自分だけ何もせずにただ待ってる、なんてことはできませんから』

その言葉どおり、は一日中、働きづめで、更に夕食の後片付けまで手伝ったらしい。

「私が湯を使おうと脱衣所に行った時、髪を乾かしてらっしゃったから、『お疲れでしょう?』ってマッサージチェアをお勧めしたんです。
電源は抜いてますから私も一緒に行って使えるようにして。
そうしたら――」

作動させると、『これ、気持ちいいですね』と、うっとりしたように目を閉じ、ものの数秒で眠ってしまったのだ、と、女将は笑った。

「そんなに疲れるほどお手伝いくださったんだと思うと、とても起こせなくて……」

だからといってこのままここに寝せておくのもどうかと思い、なんとか起こさずに部屋まで運べないものかと女将は四人を呼んだらしかった。

女将の話を聞くうちに四人も、『女将がそう思うのも無理はない』と思うようになってしまっていた。

早朝から朝食の準備を手伝い、四人に持たせた握り飯を握り、四人を送り出してからは、食事の後片付け。
自分たちの衣類の他に溜まっていた宿のリネンも洗濯し、買い出しに行き、帰ってからは各客室や風呂のそうじ。
四人がいつ帰ってもいいように食事や風呂の準備をし、食後にはその後片付け。

小さな宿とはいえ、それだけ働けば疲れもするだろう。

朝食と夕食は四人と一緒に食べたものの、昼食は袋に入らなかった握り飯の残りを二つ食べただけだったという。
帰りの遅い四人を心配して食欲がなったのか、自分だけ温かい食事をとることはできないと思ったのか……

目の前ではがタイマーの切れたマッサージチェアに座ったまま、至福といった表情の寝顔を晒している。

それを眺めている今のこの気持ちを、なんと表現すればいいのだろう。

改めて言うのは少し照れくさいけれど、が起きたら、明日になったら、言ってみようか。

それとも、胸にしまって、いつかまとめて返そうか。

でも、なら、言っても『できることをしているだけだ』と返してくるだろう。

はいつも、そう言いながら四人を支えてくれる。

だったら――

「さて、どうやって運びます?」

「こーゆー場合はお姫様抱っこに決まってんだろ?」

「それじゃ起きちゃうんじゃねえ?」

「……ったく、面倒かけやがって……」

とりあえず、今は、起こさないように部屋まで運んでやろう。

その言葉の代わりに……

end

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