喧嘩

テーブルに座って新聞の活字を追っていた三蔵の目がふと止まった。

感じた視線の発生源に目をやると向かいに座ったがこちらを見ながら何かを考え込んでいる。

本を読んでいたはずだが、閉じられているところを見ると、もう読み終えてしまったのだろう。

別に不快ではないのだが、こういう時のの思考回路を予測するのは極めて難しい。

何を考えているのか、そのきっかけや原因がわかっている時の思考パターンはある程度の想像がつくのだが、今のような別段何もない平穏な時のそれは、何をはずみにどんなことを考えているのか、どんな経緯でどんな結論に行き着くのか、まったく読めないのだ。

大抵の場合はとるに足らない暇つぶしの考え事に過ぎないのだが、下手に水を向けるとやぶへびになりかねない。

だから、シカトを決め込もうとしたのだが……

「ねえ、三蔵」

新聞をめくる三蔵の手が止まっていることに気づいたが話しかけてきて

「……なんだ?」

内心ため息をつく気分で返した。

こうなったら無視してもは三蔵が返事をするまで声を掛け続けるのはわかっている。
二人部屋に自分としかいないのだから逃げようがないのだ。

「聞いたんだけど、三蔵と悟浄って、会っていきなり殴る蹴るの喧嘩したんだって?」

「はあ? なんだ? いきなり」

「今日、買出し中に『第一印象は大事だ』って話になってね。
『皆の第一印象はどうだったの?』って訊いたら、悟浄が『三蔵の印象は最悪だった』って言ったから……」

そこから、それぞれが出会った時の話になったのだという。

「……男の人って、そんな出会い方しても仲良くなれるんだなって、ちょっと感心したの」

「『仲良く』なんざねえよ」

「でも、一緒に旅してるじゃない」

「ただの腐れ縁だ」

「『腐れ縁』ねぇ……」

「何が言いたい?」

少しイラついてきた三蔵に

「ううん、別になにも」

と、首を振り、ただね、と続けた。

「そういえば、私と三蔵って喧嘩ってしたことないなあって思って」

思わず三蔵の眉間に皺がよる。

「してえのかよ?」

言ってやると

「ううん! まさか!!」

は慌てたように両手を振った。

「三蔵と喧嘩して勝てるわけないじゃん!」

「当たり前だ」

「でもね、喧嘩にも一つだけいいとこがあるって知ってる?」

「なんだよ?」

「内緒」

「喧嘩売ってんのか? てめぇ」

「違うよぉ〜……でも、いつか喧嘩したら、その時に教えてあげる」

「てめぇ、やっぱ喧嘩売ってんだろ?」

では買ってやろうと三蔵が立ち上がる。

「やっ! だから、違うってー!!」

も立ち上がって逃げる。
二人は鬼ごっこのようにテーブルの周りをぐるぐると回った。

追いかける三蔵の中に征服欲と支配欲が湧き上がってくる。

「ちょっ、ちょっと三蔵! 顔が怖い!!」

「てめェが売った喧嘩だろうが!」

「売ったつもりなんてないってば!!」

ついにドアに向かってテーブルから離れたを、ドアノブに手が届く直前で捕らえた。

「きゃっ!」

悲鳴を上げた身体を腕の中に引き込む。

それでも逃げようとがもがいた拍子に手がスイッチに触れたらしく部屋の灯りが消えた。

窓からの月明かりだけが照らす薄闇の中で、喧嘩の勝者は敗者を腕の中に拘束して、きつく締め付けた。

「バカが。俺から逃げられると思ってんのか?」

「さんぞ‥っ……苦しい……!」

苦情を訴える唇も塞いでしまおう。

罰だと言わんばかりに激しく貪ると次第にの身体から力が抜けていく。

じっくり堪能して開放してやった唇からは甘い吐息しか漏れなかった。

くったりと三蔵の胸に身体を預けたが大きく深呼吸を繰り返す。

「……仕方ないから、教えてあげる」

「何を?」

「喧嘩のいいところ」

言われて、そういえばそれがきっかけだったと思い出した。

「何なんだよ?」

「……仲直りができること」

「何だ? そりゃ」

「だから、喧嘩したら、絶対、仲直りしなきゃダメってことよ」

「フンッ! くだらん」

鼻で笑ってしまったのは、それにまんまとのせられてしまっている自分を誤魔化すため。

そして、そのまま、を抱え上げてベッドまで運んだ。

これからのひとときを、喧嘩を売った罰だと思うか、『仲直り』とやらの為のものだと思うかはの自由……

end

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