秘密
はため息をついて読んでいた本を閉じた。
静かにゆっくり読めると思っていたのに、逆に静か過ぎて落ち着かない。
いや、違う。落ち着かないのは一人だからだ。
もちろん一人で部屋を使うことは今までにも何度もあった。
でも、今夜はちょっと違う。
だけ四人とは違う場所に泊まっているのだ。
今日、着いた小さな村には宿屋なんてなかった。
泊めてもらえる場所か貸して貰える空き家はないかと探していたら、お寺に泊まることを勧められ、三蔵はあまり乗り気ではなかったけれど、背に腹はかえられず、皆で寺を訪ねた。
その寺の年老いた住職は三蔵法師の来訪を歓迎してくれたが、ただ一点、女を泊めることだけには難色を示したのだ。
なんとか住職を説得しようとする四人を止めたのはだった。
一人で旅をしている間にもよくあることだったし、ここで無理強いして皆まで泊まる場所がなくなっては困る。
そして、住職の考えを尊重する態度をとった事が幸いし、結局、は、同じ村の中の別の家に泊めてもらうことになったのだった。
に宿を貸してくれたのは住職の妹さんだった。
ご主人に先立たれて以来一人暮らしをしているというそのお婆さんは、快くを受け入れてくれ、は泊めてもらうお礼にと、家事を手伝った。
お婆さんは『他の村に嫁いだ娘が家にいた頃みたいだ』と喜び、を気に入ってくれ、も一人暮らしをしていた頃にお世話になった近所のおばさんを思い出して懐かしかった。
でも、就寝の挨拶をして部屋に一人になると、途端に気持ちが沈んでしまった。
気分を変えようと本を取り出してみたけれど、活字がまったく頭に入ってこない。
借りた部屋は、昔、娘さんが使っていたという離れで、長く使われていなかっただろうに手入れや掃除は行き届いていて、居心地は決して悪くないのに、なんだか落ち着かない。
夜が早いお婆さんに合わせて、食事や入浴を早々に済ませてしまったけれど、寝るにはまだ早い。
全然眠くなんて無かったけれど、は本をしまってベッドに仰向けに寝転んだ。
(皆、どうしてるかな……?)
三蔵は『三蔵法師様』と崇められることをウザがって住職に邪険な態度をとっているのではないだろうか?
悟空とジープはお寺の精進料理で満足できただろうか?
悟浄は酒がないだの、女っけがないだのと文句を言ってないだろうか?
八戒はそんな三人に手を焼いているのではないだろうか?
皆のことを考えると、そんな心配事ばかりが浮かんでくる。
何故、こんな気分になってしまうのだろう?
同じ村の中にはいるのに。
同じ屋根の下に皆がいない。
ただそれだけの事が、こんなに寂しい……
「あ〜〜! もうっ!」
は、そのままではどこまでも落ち込んでいきそうな気分を振り払うように声を出しながら、ガバッと起き上がった。
「このまま寝たら、絶対、ヤな夢、見ちゃう!」
軽くストレッチでもしてみようかと、首を動かしてみた時――
(ん?)
窓の外に人影が見えた気がした。
気のせいかと思ったけれど、耳を澄ますと、ヒソヒソと人の話し声のようなものも聞こえる。
敵襲だとしたら問答無用で飛び込んで来るだろうし、嫌な気配も感じない。
は、影が映らないように窓に近づいて、一気にカーテンを開けて――
驚いた。
てっきり、悟空か悟浄か、とにかく四人のうちの誰かが退屈して遊びに来たのかと思っていたのに……
窓の外にいたのは知らない女の子だった。
しかも、尖った耳に、右の頬に文様状の痣。
正確には妖怪の女の子だ。
その子も驚いた顔をしていたが、の顔を見るとにっこり笑った。
思わずつられて笑い返してしまったくらい無邪気な笑顔だった。
まだ子供みたいだから異変の影響を受けていないのかもしれない。
は窓を開けてみた。
「こんばんは」
「こんばんはー!」
とりあえず挨拶してみると、元気な返事が返ってきた。そして
「ほらぁ、八百鼡ちゃん! 女の人いたよ!」
と、言いながら女の子が振り向いた方にも、もう一人、女の人がいた。
長い髪に尖った耳、着ているのはなんだか露出度の高い服で、見えている肩に文様状の痣。
この人も妖怪だ。
一瞬、警戒心を抱いてしまったけれど、
「李厘様」
そのたしなめるような声からは困っているような様子が聞き取れ、の視線に気づいて軽く会釈をした表情からも敵意は感じられなかった。
危害を加えられることは無さそうだと判断した。
「……李厘ちゃんっていうの?」
「うん! そんで、あっちが八百鼡ちゃん。お姉さんは?」
「私はよ」
「ちゃんだね」
「ええ……何かご用?」
二人とも初めて会う人だし、こんな時間だ。
当然といえば当然のの質問に、李厘はあっけらかんと答えた。
「ちゃんに会いに来たんだよ」
「私に?」
もう一度、確認するけど、さっきお互いに名乗ったばかりの、初対面の相手だ。
『会いに来た』と言われてもその理由として思い当たることなど一つもない。
「うん。『サンゾーいっこぉ』に女の人が入ったって聞いたから」
そう言う李厘はどこまでも屈託なかった。
「えっ? それじゃあ、お二人は天竺からいらしたんですか?」
「はい。李厘様がどうしてもさんに会ってみたいとおっしゃって……」
退屈していたところだし、三蔵たちの知り合いらしいので部屋に通しただったが、話を聞くほどに状況がよくわからなくなってきていた。
仕えている主君の妹がこっそりと出掛けようとしているのを見つけて止め切れず、結局ついてくるしかなかったという八百鼡はしきりと恐縮しているし、李厘の話は、あっちに飛びこっちに飛びでわかりづらい。
それらをなんとか総合して整理すると、この二人は、三蔵たちとは敵対する立場にあるということになるようなのだが……
「これ、すっごくおいしーね!」
「この家のお婆さんが『明日のおやつにしなさい』って焼いてくれたの。
私も手伝ったのよ」
「戴いていいんですか? 明日の分がなくなったりはしませんか?」
「大丈夫です、まだありますから。どうぞ召し上がってください」
が出したパンを美味しそうに食べる李厘は無邪気そのものだし、自我を保ち、いたって常識的な思考ができるらしい八百鼡はおっとりとした美人で戦う姿など想像できない。
「ねえ? 李厘ちゃんはどうして私に会いたいと思ったの?」
わざわざ敵に会いにきた理由がにはよくわからなかった。
「んー? だって、ちゃんは女の人なのにサンゾーたちと一緒にいるんでしょ?
どんな人なのかなあ? って思って」
子供らしい単純な好奇心だったのかと思っていたら、
「悪い人だったらやっつけちゃおうって思ってたんだけど、ちゃん、優しい、いーひとだね」
と、続けられて、驚いたというか、呆れたというか……
はすっかり返す言葉を失ってしまった。
やはりここは『とりあえず、やっつけられなくて良かった』と安心すべきだろうか?
しかし、ここまでぶっちゃけたことを言われると、この女の子がそれだけ素直で真っ直ぐな性格をしているのだと実感できて、憎めない。
「……すみません。李厘様は兄君の役に立ちたいだけなんです」
申し訳無さそうにフォローをいれてくる八百鼡にも親近感を抱いてしまった。
この人のポジションは、時に周りに迷惑を掛ける行動をしてしまう三蔵や悟空や悟浄のフォローをする八戒や自分に似ているかもしれない。
「李厘ちゃんはお兄さんのことが好きなのね」
「うん! オイラ、お兄ちゃん、大好き!」
即答する満面の笑顔を見ると、危うくやっつけられてしまうところだったことさえ許せてしまう。
たぶん、この人たちにはこの人たちなりの正義や戦う理由がある。
それが、たまたま三蔵たちとは正反対の位置にあるだけなのだ。
何度か対峙したこともあるようだが、互いに生き延びているし、三蔵たちにとってもやりづらい敵なのかもしれない。
異変が起きる前であったなら良い友人になることもできただろう。
この人たちと敵同士なのだと思うと切ないし悲しいけれど、今夜は、少なくとも双方に戦う意思がない今だけは、遠路を訪ねて来てくれたお客様を歓迎しよう……
「ねーねー! ちゃんって強いの?
なんでサンゾーたちの仲間になったの?
あいつらにいじめられたりしてない?」
「李厘様、そんなに一度に訊かれてもさん困ってしまいますよ?」
「そうね、一つずつ答えようか」
が話す三蔵たちと出会ったいきさつを二人は興味深そうに聞いていた。
いろいろと話しているうちに、話題は最近の出来事だの互いの趣味だのに移っていき、料理の話では大いに盛り上がった。
こんなふうに女同士でお喋りをするのは、との家に滞在して以来で、はとても楽しい時間を過ごすことができた。
次に会う時は、敵同士になっているかもしれないけど、その結果がどうなるかなんてわからないけれど、全てが終わった後で、新しい関係が築けたら――と願った。
今夜の事は、皆には言わない。
このひとときのことは――
女同士の秘密……
end