照れる

「行ってらっしゃーい」

そう手を振って、買出しに行く悟空、悟浄、八戒の三人を見送ったは、三人が使った湯呑みを片付けながら、テーブルで新聞を広げている三蔵に声を掛けた。

「お茶のおかわりいる?」

「……ああ」

タバコの煙を吐き出しながら短く返した三蔵は、雨でもないのに宿に入ったあたりからなんとなく機嫌が悪い。

下手に訊いてやぶへびになるのも困るし、気付いてない振りをするのが得策である事も今までに学習してきている。

は三蔵の湯呑みもお盆に取り、いつもどおりに振舞った。

今日の宿は古く、風呂やトイレ、洗面所は室内にはなく共同で、部屋も五人一緒の大部屋だった。

でも十分な広さはあるし、部屋の掃除やリネンの洗濯もきちんとされているようだ。
昨日は野宿だったし、宿に泊まれるだけ有難いというものだ。

「お茶、淹れたら洗濯しにいくね」

そのために買出しには行かなかった。
不機嫌な三蔵は放っておくに限る。
さっさとお茶を淹れて避難しよう。

言いながら手早く出がらしになった茶葉を捨て、茶筒に手を伸ばした時だった。

背後に何かの気配を感じた。

「きゃ!」

思わず声が出たのは顔をそちらへ向けるのと同時に、後ろから抱きしめられたから。
持っていた茶筒が落ちて音を立てた。

「な――」

『なに?』と問おうとしたが、しかし、その短い一言を全て発することはできなかった。
振り向いた顎を掴まれて唇を塞がれたのだ。

驚いて見開いた目の前で金色の髪が揺れ、口にはマルボロの味が流れ込んだ。

「んーっ!」

上半身を捻った不自由な状態で捉えられ、唐突にキスされて、抗議の声を上げるのに、三蔵は拘束する力を緩めない。

だんだん息苦しくなってきて、必死でもがいていると、やっと、唇が離れた。

「いきなり、なに?」

酸素を求めての荒い息の間で訊いたのに、返ってきたのは

「なんだろうな」

の一言だけで、また口付けられた。
二度目のキスはさっきより深く濃厚で、頭がぼうっとしてくる。

(……なんか、ヤバイって……)

そう思っていたらシャツの裾から手が入ってきた。
慌てて顔を離してその手を押さえた。

「ちょっと! 何考えてんのよ!?」

「決まってんだろ?」

しれっと答えた三蔵は触ってくる手を止めない。

そういえば、ここしばらく、の身体の都合や部屋割りの具合、野宿なんかのせいで三蔵と二人で夜を過ごすことがなかった。

たぶん宿に着いてからの不機嫌の原因はそれで、更にそれを解消する為に今、こんな暴挙に出ているのだ。
しかし、だからといって流されてしまうわけにはいかない。

「バカ! ダメだって!」

揉合いになりながらは必死で言葉を重ねた。

「まだこんなに明るいし! いつ皆が帰ってくるかわかんないし!
お風呂だって入ってないし! 昨夜は野宿だったし! 今日も汗かいたし!
『直後』に皆と顔を合わせても普通にしてられる自信ない!!」

最後には突き飛ばす勢いで三蔵を押して、なんとか離れることができた時はすっかり息が上がっていた。

目の前の三蔵は不満タラタラな顔をしているけれど、腕組みをしてフイッと横を向いたあたり、とりあえず諦めてはくれたようだ。

(……まったく、もう……)

ドキドキしている内心を隠して乱れかけていた服を直していて気付いた。

ジーンズの腰から太腿にかけての部分がびっしょりと濡れている。

(え!? なんで?)

不思議に思いながらよく見ると、ポットや急須の傍に置いてあった一輪挿しが倒れていた。

幸い割れてはいないし、床もあまり濡れていない。
たぶん、揉み合っている時にはずみで倒れて、
その水をが全て被ってしまったのだろう。

「あー! ほら、変なことするから!」

倒れた花瓶を起こしながら、自分の被害を訴えると、三蔵は悪びれもせず

「お前が暴れるからだろ」

と言い返してきた。もさすがに少し腹が立つ。

「もう、知らない!」

そう言って、取り急ぎ、花瓶に水を入れに行った。
花には罪はないのだから枯れさせてしまっては可哀想だ。

部屋に戻って、濡れたジーンズを着替えようとして気付いた。

この部屋にはユニットバスは付いていない。
広い空間の中にベッドが五つとテーブル等の軽家具が置いてあるだけだ。

どうしようかと悩んだけれど、濡れたままでいるのは気持ち悪いし、色落ちも気になる。

そっと様子を見た三蔵はテーブルで新聞に見入っているみたいだったので、こっそり着替えることにした。

三蔵の背中が見える位置で後ろを向き、音を立てないように気をつけながら、穿き替える。

途中で気になったのは、聞こえた紙の音がやけに短かったこと。

バッと振り向くと、金色の頭がスッと動き、中間で止まっていた手が新聞をめくる動作を再開させた。

「……見てたでしょ?」

口を尖らせて抗議したのに、窃視犯は聞こえていないふりをしてとぼけた。

「……えっち」

重ねて糾弾すると、

「……見たって減るもんじゃねえだろ」

自白ともとれるセリフを吐いて開き直った。

「やっぱり見てたんだ!」

「そんなとこで着替えてりゃ見るなっつー方が無理だろうが」

「わざわざ振り向いてまで見てて何が『無理』よ!? スケベ!」

「スケ……河童と一緒にするな!」

「似たようなもんじゃない!」

「違うだろ」

言い合ううちにはテーブルのすぐ横まで移動していたし、三蔵は新聞を置いて立ち上がっていた。
話の論点もズレてきているが、互いに勢いづいた二人はそれに気付いていない。

「どこが?」

「あいつは女なら誰でもいい奴だ。俺は――」

むきになって否定してきた三蔵が、そこで言葉を切った。

「なに? 三蔵はどうだっていうの?」

は『言えるもんなら言ってみろ』とばかりに畳み掛け、その直後、三蔵の反撃にあった。

ガバッと肩を抱いて引き寄せられ、は咄嗟に両手で口を覆った。
またキスされるのかと思ったのだ。

しかし、三蔵の口はの耳元へと向かった。
そして、言葉の続きが呟かれる。

は真っ赤になって絶句した。

続きを言わせたという点で試合には勝ったかもしれなかったが、勝負には完敗だった。

三蔵はさっきの強引さが嘘のように素っ気無くを離し、また座って新聞を広げた。

いつもと変わらない不遜な表情の一方で、その耳が赤くなっていたが、にはそれに気付く余裕はなかった。

「……え、えっと……洗濯、行って来る、ね」

怒っていたことも忘れて、それだけ言って逃げるように部屋から出るのが精一杯だった。

ゾクッとくるような低い声で、直接、吹き込まれた言葉は耳に刻み込まれていて、その後しばらく、ふとした拍子に甦ってはを赤面させた。

(……まったく! どんな顔してあんなこと言うんだか!)

その度に毒づきたくなってしまうのは照れ隠し。

だって、どうしても顔は笑ってしまうのだから。

『俺は……』

―― お前だけだ ――

end

Postscript

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