酔う
宿の部屋ではため息をついて、読んでいた本を閉じた。
静かに読書にいそしめると思っていたのに、全然、活字に集中できない。
テーブルの上には自分が使っている湯呑みが一つと、今、置いた本以外の物はなく、向かいの椅子も空席。
(ここが一人部屋だったら、こんな気分にはならないんだろうにね……)
そう思いながら見回した部屋にはベッドが二つ。
一人用より少し広い部屋に一人でいることが部屋を更に広く感じさせていた。
夕方、この町に着いて宿に入って少しした頃、『三蔵法師の一行が来訪した』との情報を得た町の有力者から食事の招待を受けた。
いつもなら辞退するところだが、悟空は食い物にありつける話を逃したくはないはずだし、その人物が副業で酒屋や酒場を営んでいる事を耳にした途端、悟浄と八戒までが乗り気になってしまい、結局、三蔵は招待を受けるハメになってしまったのだ。
かしこまった席が苦手なは最初から乗り気ではなかったし、『三蔵法師御一行様』の中に女がいてはマズイだろうとの判断で、『少し頭痛がする』と言って、一人、宿に残っていた。
(……先にお風呂、使わせてもらおうっと)
気分を変えようと入浴し、少しスッキリしたが、ユニットバスから出てガランとした室内を見た途端、それもリセットされてしまった。
「なんか、つまんないなー」
ベッドに寝転んでゴロゴロと寝返りを打ちながら声に出すと、退屈が増した気がした。
三蔵がいたからといって楽しい会話があるわけではないのだけれど……
(一人には慣れてたはずなんだけどなぁ……)
皆に出会って、一緒に旅をするようになってからの賑やかな日々にすっかり馴染んでしまって、この静けさが寂しい。
一人であることがこんなに心もとないなんて……
寝転んだまま、今夜、何度目かのため息をついて目を閉じた。
考えてしまうのは三蔵のこと。
こんな時にも目に浮かぶのは、その仏頂面なのがなんだか笑えた。
でも、知ってる。
その瞳がまっすぐに物事の本質を見抜く事も、その唇が躊躇いなく真実を告げる事も、言葉や態度は悪くても、その言動は信念に支えられ、根底には優しさが隠されているという事も……
そして、腰が重くて面倒くさがりだけど、自分の一方的な願いをきいて、かけられた術を解いてくれた……
(だから、こんなに好きになっちゃったのかな?)
皆、優しいし、フェミニストなのは悟浄で、人当たりがいいのは八戒で、素直で可愛いのは悟空だけど、気がついた時には三蔵が特別になっていた。
報われることのない想いだと、覚悟していたのだけど……
こうして一人でいると信じられない気持ちになる。
三蔵と二人で同じ部屋に泊まる事が当たり前になっているなんて。
二つあるベッドを一つしか使わないで過ごす夜も多いなんて……
三蔵に求められると拒めない。
疲れていたり、眠かったりする時は抗おうとする事もあるけれど、結局は拒みきれず好きにされてしまう。
思い返せば初めての時からそうだった。
それまでは、なんとなく避けられていて、その事を気にしていたりしたのに、あの夜、突然に言われたのだ。
『お前を俺のものにする』
心の準備どころか、何故、いきなりこんな事になるのかさえ理解できなくて、でも、拒む事も逃げる事も出来なくて、最後には頷いてしまった……
それ以来ずっとだ。
そういう時は怖いとかじゃなくて、恥ずかしいだけじゃなくて、身体が上手く動かせなくなる……
そこまで考えて、今までのあんな事やこんな事を思い出して、赤面した。
「もうっ! 何、考えてんのよっ!!」
ガバッと起き上がり、赤くなった頬を両手でペチペチと叩いて頭の中のものを追い払う。
本でも読もうと立ち上がったら、廊下から聞きなれた声が聞こえてきた。
三蔵たちが帰ってきたらしい。
ドアを開けて覗いてみると、呆れ顔の三蔵と、酔って潰れる寸前といった悟浄が八戒と悟空に両側から支えられながら歩いてくるのが見えたので、思わず廊下に出た。
「あ! 、ただいまー!」
「お帰りなさい……どうしたの?」
「バカが飲みすぎただけだ」
「それよりあなたの方こそ頭痛の具合はどうですか?」
「うん、薬飲んでゆっくりしてたら治ったけど……悟浄、大丈夫?」
「酔ってるだけですから、心配には及びませんよ」
「そこいらに捨ててくりゃ良かったんだ」
「そういうわけにはいきませんよ。
こんな大きなものが落ちてたら近隣の方にご迷惑です」
「なんだぁ? 俺は粗大ゴミか!?」
「どっちかっていうと『生ゴミ』なんじゃね?」
「んだとー! 猿ーっ!」
「廊下で大声出さないでください。ほら部屋に入りますよ」
一緒に三人の部屋まで付いていってよくよく聞いてみると、酒量としてはそれほどでもなかったものの、飲んだ酒のアルコール度数が高かったらしく、帰ろうと歩き出した途端、急激に酔いが回ってしまったようだった。
ベッドに放り込まれた悟浄は既にいびきをかきはじめており、『もう後は放っておいて大丈夫ですから』という八戒の言葉を受けて部屋を出た。
自分たちの部屋に戻っただったが、室内に三蔵の姿は見えなかった。
不思議に思っているとユニットバスのドアが開いた。
濡れた髪とジーンズを穿いただけの姿にシャワーを浴びていたのかと納得したが、同時に不機嫌そうな様子も見て取れた。
「水、飲む?」
機嫌を取るつもりで言ってみたけのだけれど
「いらん」
返事は取り付くしまもなかった。
こちらに向き直った目がなんとなく怖い。
「仮病なんざ使って、一人だけフケやがって」
不機嫌の理由はわかったが、ここでシラをきりとおせる自信はない。
仕方なく認めた。
「……バレてた?」
「当然だ」
ずんずんと寄ってくる三蔵から逃げるようには後ずさる。
「だって、『三蔵法師一行』の中に女がいるのって外聞が良いとは言えないでしょ?」
「理由はどうあれ、お前が嘘をついた事には変わりねえ」
「『嘘も方便』って言うじゃない」
そんな会話をしている間に壁に追い詰められた。
「うるせえ」
その声と共には、三蔵が壁についた両手の中に閉じ込められた。
「相応の報いは受けてもらうからな」
耳元で言われて、身体がぞくっと震えた。
「どうした? もう逃げねえのか?」
続けて吹き込まれて思わず目を閉じた。
一人でいる間に考えていたことの答えがここにあった。
はこの声に弱いのだ。
耳元で囁かれると、身体がしびれたようになって動けなくなる。
この声に、いつも、酔わされる。
(三蔵の声ってズルイ……)
そんな事を考えている間に重なっていた唇。
その深さに、長い夜になることを覚悟した。
end