風邪

ノックをして、はその部屋のドアをそっと開けた。

「三蔵、起きてる?」

「……ああ」

聞こえた返事に安心して部屋に入る。

「昼食にお粥、作ってきたの。食べて」

「食欲なんざねえ……」

「ダメよ! 食べなきゃ」

珍しく風邪を引いてしまった三蔵は、体調の悪さも相俟って機嫌が悪そうだったが、も『はい、そうですか』と退くわけにはいかない。

「食べないと体力つかないし、薬も飲めないでしょ?」

熱と咳の風邪のようで、激しく咳き込む姿は見ている方だって辛くなってしまうのだ。

「お願いだから食べて……少しでいいから」

真剣な顔で懇願されて、三蔵は仕方なく粥の載った盆を受け取った。

一昨日の夜辺りから体調を崩し、昨日この町に着いてから寝込んだ。

その間ずっと、深夜にも氷を取り替えたり、汗をかいた身体を拭いたりと、かいがいしく世話をしてもらっている。
これが八戒なら煩く感じるのかもしれないが、どうにもには弱い。

掬ったレンゲを口に運ぶと、はホッとしたように微笑んだ。

卵入りの粥の味は悪くない。
食欲はなかったが腹は減っていたようで、結局、全部食べてしまった。

空になった小さな土鍋にが微笑む。

「汗かいたでしょ? 着替えて、その間にシーツも換えるから」

「…………」

身体はまだ少しだるく億劫だったが、どちらも汗で湿ったままよりは取り替えた方がいいのは確かだ。

おとなしく着替えて、新しいシーツの敷かれたベッドに腰掛けるとが手を伸ばしてきた。
白い手が額に当てられる。少し冷たい感覚が心地いい。

「熱、だいぶ下がってきたね」

「あまり傍によるとうつるぞ」

「いいよ。『風邪は人にうつすと治る』って言うでしょ?
三蔵の風邪ならうつってもいいよ」

「……言ってろ」

言いながらタバコに手を伸ばすと

「タバコはダメだって!!」

ケースごと取り上げられた。

「何しやがる」

「それはこっちのセリフ!
そんなに咳してるくせになんでタバコなんて吸おうとするのよ?」

「俺の勝手だ」

「のど飴買ってるから、それで我慢してよ」

「んなモン食えるか」

「食べるんじゃなくて舐めるの!
……シュガーレスだからそんなに甘くないわよ」

言いながらは袋から一つ取り出した。

「あ、これって一袋にミント味とレモン味があるんだ。どっちがいい?」

「…………」

「……食べてみなくちゃわかんないか……じゃ、とりあえずミントね」

個別包装を破って三蔵の口の前に持ってくる。

「はい、あーん」

「…………」

三蔵はムスっとしたまま口を開かない。

「……もう、ノリが悪いんだから……」

仕方なくはその飴を自分の口に放り込んだ。

「うん、おいしい。あ、横になってなくていいの?」

「どうせ薬を飲む時にはまた起きるんだ。寝るのはその後でいい」

言った後で三蔵は咳き込んだ。
は隣に座ってその背を撫でる。

「……のど飴、舐めてみたら?
昨日からあんまり食べてないんだし、少しでもカロリー摂取になるよ?」

心配そうな顔と口調で再び勧められて、三蔵は仕方なく一つだけ口に入れてやることにした。

無言で袋から取り出し口に含む。
思ったよりも甘くなく、悪くない味だった。

「あ、そっちレモン味だ。おいしい?」

顔を覗き込みながら言われて、悪戯心が起きた。

「味見してみるか?」

言うなり、の後頭部を押さえ込んで口付けた。

「んーっ!!」

自分の口の中の飴をの口に押し込み、代わりにの口内にあった飴をすくい取る。

「どうだ? 美味いか?」

口を離して言ってやると、は真っ赤な顔で呟いた。

「……バカ……」

「フン」

三蔵は鼻で笑いながら、から奪ったミント味の飴をガリガリと噛み割る。

「あっ、噛んじゃダメだって! 舐めなきゃ意味がないでしょ」

「じゃあ、そっちも寄越せ」

そして再び口付ける。

はすっかり呆れてしまったが、仮にも病人相手に激しい抵抗などできない。
いつもより熱い唇はいつもと違うミント味。

おとなしく飴を差し出したの舌を三蔵は絡め取って吸い上げ、存分に味わった。

「……こんなことしてたら、うつっちゃうよ……」

「うつってもいいんだろう?」

「そしたら今度は三蔵が看病してくれる?」

「気が向いたらな」

「もう……」

苦笑したの唇を三度奪った。

レモン味の飴は溶けきるまで二人の口の中を移動し続けていた……

そして翌日、すっかり治った三蔵の風邪は、しっかりにうつっていたのだった。

end

Postscript

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