一人ぼっちじゃない
目が覚めたら、真っ暗だった。
ぼんやりした頭のまま、暗闇の中で目を凝らす。
まだ夜中なのだと、旅の途中で泊まった宿の部屋に一人で寝ているのだと気付くまでにしばらくかかった。
遠くでゴロゴロと鳴っている雷の音が聞こえて、身体がビクッと震えた。
こんな奇妙な気分になるのはさっきまで見ていた夢のせいだ。
あんな夢を見たのは雷のせいだろうか?
(……三蔵の顔が見たい……)
唐突にそう思った。
『会いたい』というのとは違う。
気付いてもらえなくていい。話は出来なくていい。
ただ、顔が見たい。
理由のない衝動だった。
ゆっくりと身体を起こして、は悩んだ。
今日は全員分の部屋が取れて、皆、一人ずつで寝ている。だから部屋に行くのは簡単だけれど、人の気配には敏感な相手だから、どんなにそっと行ったとしても気付かれてしまうだろう。
こんな時間だから寝ているに決まっているし、起こしたらきっと怒られる。
雷は遠くて雨は降ってはいないけど、夜中に起こされたら不機嫌になってしまうだろう。
……でも、どうしても三蔵の顔が見たい……
ふと目を覚ました三蔵は身体を起こして、ドアの方に意識を向けた。
人の気配がする。
殺気や邪気、悪意の類は感じないが、確かにドアの外に誰かがいる。
ただ通りかかっただけというわけではない。
その気配はドアの前から動かない。
だから目が覚めたのだ。
(チッ!)
寝起きの不機嫌さ全開で銃を手に取り、音を立てないように歩いてドアの横の壁に背をつけた。
相手の出方を待つか、こちらから打って出るかと考えている時
(……ひょっとして、そんなオチか……?)
もう一つ別の可能性が頭に浮かんだ。
雨は降っていないようだが……聞こえた遠い雷鳴……
脱力感を覚えながら無造作にドアを開ける。
ゴツンッ!
半分ほど開いたところで、鈍い音と共にドアが止まった。
「……いったぁ〜〜」
聞こえてきたのは思っていたとおりの人物の声で、隙間から覗いてみるとやはりそこにはがいた。
俯いてさすっている額が少し赤い。
ドアがぶつかることは想定していて、わざとやったことだったが、衝撃は予想を超えていたらしい。
こんな時間に起こされてしまった仕返しができたことで三蔵の不機嫌は緩和され、意識は状況の把握へと向かった。
「こんな夜中に何やってんだ?」
当然の質問を投げかける。
「ごめんなさい。なんでもないの……じゃあね」
早口にそう言って、逃げようとするの手首を掴んで引き止めた。
「なんでもなくて、お前はこんな時間に人のこと起こしてんのか?」
「ごめん……起こすつもりはなかったの……」
振り返らないまま俯いて謝る申し訳なさそうな声が少し潤んでいる。
「……とりあえず、入れ」
捕まえた手首を引いて、部屋に入れた。
三蔵の部屋に入ったは三蔵に促されるままにベッドに腰掛け、三蔵は壁にもたれてタバコに火をつけた。
ベッドサイドのランプだけが照らす中、また聞こえた遠い雷鳴にが身体を震わせた。
山間のこの町に入る少し前から、断続的に雷の音を耳にしていた。
宿の者の話によると、このあたりの土地では地形のせいで雷が多いらしい。
雷は相変わらず苦手でも、最近はそれでがうなされることは少なくなっていたので、それぞれに部屋を取っていたのだが、今夜はダメだったようだ。
「……雷、か?」
三蔵の問いかけは大部分を省略したものだったが、それでも通じる。
「うん……たぶん……」
は少し俯いたままで答えた。
涙はもう止まったようだ。
「『たぶん』?」
てっきり、いつもの、家族が殺された時の夢を見たのだと思っていたのだが、違うのだろうか?
「夢を見たのは見たんだけど、昔のことじゃなかったの……
三蔵たちに出会って、一緒に旅をしているのが夢で、目が覚めたら、真っ暗な森の中にいて……
まだ術も解けて無くて、一人で……って、そんな夢だった」
「新しいパターンだったわけか」
「うん……で、どっちが夢でどっちが本当なのか、一瞬わからなくなって、それで、すごく、三蔵の顔が見たくなったの」
言いながら、は恥ずかしそうに笑い、三蔵は内心に感じた照れを、タバコをもみ消す仕草でごまかした。
「起こすと悪いなっては思ったんだけど、気がついたら部屋の前まで来てて……
ドアを開けようかどうしようかって迷ってるうちに……今度は怖くなって……」
「何が?」
「『もし、さっき見てた夢が本当だったら?』って。
『この部屋の中に三蔵がいなかったらどうしよう?』って」
言いながら見上げてくるの顔は、迷子の子供のように不安げだった。
「……本当にお前は、ろくなこと考えねえな」
三蔵は呆れ、も自嘲するように笑って話し続けた。
「一人の部屋に戻るのも嫌だったし、でも、ドアを開ける勇気も出なくて……動けなくなっちゃった……」
それで、ずっとその場にいたのかと、三蔵はため息をついた。
いくら自分が人の気配には敏感だといっても、相手がでは感度も落ちようというもの。
それが就寝中に目覚めてしまうとは、一体、どれだけそうしていたというのか……
は俯いたままじっとしている。
きっと叱られると思っているのだろう。
三蔵はベッドに近寄ると、の後ろに並ぶように――胡坐の片膝を立てるいつものスタイルの中にの身体がすっぽりと納まっている形に――腰を下ろし、背後からそっとを抱きしめた。
が何を恐れているのかはわかった。
自分たちと出会うまでにもは親しい者との別れを複数回、味わっているのだ。
『もし、また……』と不安に思ってしまうのも無理はない。
この旅に加わってからも、度々、『ずっと、皆と一緒にいたい』と口にしていた。
孤独であることの重さは……自分も知っている……
「で、このうすら寒い廊下に、こんなに身体が冷えるまで突っ立ってたってのか?
バカが」
腕の中のの身体はヒヤリと冷たい。
山間部の町なので夜は冷えるのだ。最初に掴んだ手首も冷たかった。
「うん……バカだね……自分でもそう思う。
でも、三蔵がドアを開けてくれて……びっくりしたけど、嬉しかった。
三蔵の顔を見たら、すごくホッとして……それで涙、出てきちゃったの」
言いながら、はまたこみ上げてきた涙を堪えていた。
背中が暖かい。
話を聞いてくれる人がいる。
抱きしめてくれる腕がある。
身体を預けられる胸がある。
朝になれば「おはよう」と挨拶しあえる人たちがいるのだ……
だから……一人ぼっちじゃない……
「……あったかい……ありがとう、三蔵……」
三蔵の肩に頭を乗せて、は今の倖せをかみしめていた。
「……雷が嫌なら、朝までここにいろ」
「……うん……」
二人で夜を過ごすことはあっても、最初から二人部屋か、三蔵がの部屋に来るのが常だった。
初めて三蔵の部屋で過ごした夜。
人肌のぬくもりの心地よさを改めて感じた夜。
にとって大切な思い出が増えた、そんな夜だった。
end