孤独

その午後、は宿のロビーのソファーでぼんやりと雨の音を聞いていた。

昨日から静かに降り続く雨は旅に休息を与えている。
さっき見た光景を思い出して、無意識のうちに溜め息がもれた。

昨日の買出しの時に買えなかった物を一人で買いに出て、宿に戻った時のこと。
部屋の前ではドアを開けるのを躊躇った。

雨の日の三蔵は取扱要注意。

音を立てないように気をつけて、そっと少しだけ開けたドアの隙間から様子を覗いて見た。

手に銃を持った三蔵の背中から感じたのは、不機嫌さとは別の種類の声を掛けづらい空気。

これは三蔵の世界だ。壊してはいけない。

そう感じて、そのままドアを閉め、他に行き場もなくここに落ち着いた。

考えるのは三蔵のこと。

今、何を考えているのだろう?
どんな気持ちで雨の音を聞いているのだろう?
かなしいのだろうか? 辛いのだろうか?……

自分のことを……少しは思い出してくれているだろうか……?

自分の中はこんなにも三蔵でいっぱいなのだと気づかされる。

その三蔵を雨が、雨にまつわる記憶が、苦しめる……

(……雨か……雷が鳴ったらヤだな……)

目を閉じて深く息を吐いたら、頭の上から声が降ってきた。

見上げた先には買い物袋を抱えた緑色の長身。

「あ、買い出しだったの? お疲れ様。雨で大変だったでしょ?」

「いえ、それほど降ってませんからね。
それより、こんなところでどうしたんです?」

「ん? なんとなくね。部屋にいない方がいいかな? って思って」

「三蔵の機嫌、そんなに悪いんですか?」

「ううん。そうじゃないの。雨の日にしては穏やかな方だと思う。
銃の手入れなんかしてたし。ただ……」

「何なんです?」

「たまには一人になる時間も必要なんじゃないかと思って……」

「『一人になる時間』?」

オウム返しに訊ねながら、八戒は空いていた傍のソファーに腰を下ろした。

「うん。旅の間はずーっと誰かと一緒でしょ?
でも、考え事とかする時は一人の方が集中できるから……」

そう、周りに誰もいない方がいい。特に自分自身と向き合う時には……

「それで、ここに一人で?」

「うん」

「でも……」

「なぁに?」

「それで、は寂しくはありませんか?」

その質問の呟く様な小さな声に八戒の気遣いを感じて、は本音を言うことにした。

「んー、正直言うとちょっと寂しいかな?
……でも、『寂しい』って感じることは必ずしも悪いことじゃないとも思うし」

「何故です?」

「『一人が寂しい』って思うのは、一人じゃない時の楽しさを知ってるからでしょ?
『寂しい』って思うから、人は人を求めて、そこから人の輪とか絆が出来ていくんだと思うの」

「…………」

「それに一人でいる時に『あの人は今、どうしているかな?』って考える相手がいるってとても倖せなことだと思う。
そういう人がいるなら、自分は本当に一人きりなわけじゃないって信じていられるから……
『寂しい』って感情とか、『孤独』な時間って、そういう大事なことを気づかせてくれるの……
少なくとも私はそうだった……」

家族を亡くした時に思い知った。
それまで当たり前過ぎて気づかなかった倖せに。
だから、もう、なくしてしまってから大事なものに気づくようなことはしたくない。

今、皆と一緒にいるのもそうだ。
『術が解けてこの人たちと別れたら、自分は寂しくて寂しくて、死んじゃいそうになるだろうな』と思った。
『寂しい』という気持ちが、自分にとって皆がどれだけ大事な存在かを教えてくれた。

らしい考え方ですね」

優しく微笑みながら言われて、はつい長々と語ってしまった自分が少し恥ずかしくなった。

「そうかな?」

照れくさそうに俯くを見ながら八戒は感じていた。

前向きに、したたかに、マイナスな物事の中からプラスを拾い上げるの心の豊かさを。

『孤独』という言葉は親のいない子供と子供のいない老人という意味の文字から成り立っているという。

親のいない子供だった五人が一緒にいる巡り合わせの不思議さ。
その中に『寂しいのは悪いことじゃない』と言える素晴らしい人のいる幸運。

「ええ。とてもいいことだと思いますよ」

顔を上げたがにっこりと微笑む。

(ああ、本当ですね。……)

『寂しい』という感情が大切なものを教えてくれる……

この笑顔が見られなくなったら、やはり寂しいと思うだろう。
それから、内心、自嘲した。

(ここに一人でいる間、が考えてたのは三蔵の事だろうと思うと少し寂しいっていうのは、僕の我侭でしょうけどね……)

八戒が部屋に戻った後も、はしばらくその場に残っていた。
その間に外は夕闇に包まれ、雨も止んだようだ。

(もう戻っても大丈夫かな?)

長時間座って、すっかり一体化してしまっていたソファーから腰を上げる。

部屋の前でやはりドアを開けるのを少し躊躇って……
思い切ってノブに手を伸ばした時、いきなりそのノブが無くなった。
部屋側に開くタイプのドアが内側から開けられたのだ。

顔を上げるとそこにあったのは、少し面食らったような三蔵の顔。

「…………」

お互いに一瞬、固まってしまった。

「あー、びっくりしたぁー」

「さっさと入れ」

促されて部屋の中に入り、振り向きながら訊いてみた。

「どっか出掛けるとこだったんじゃないの?」

「……いや……もういい」

椅子に座りながらそう返す口調や表情が、バツが悪そうに見えるのは気のせいだろうか?

思いついたことを言ってみる。

「ねえ……ひょっとして、私のこと探しに行こうとしてた……とか?」

「うるせえ! 違う!!」

そんな風に否定されても、逆に肯定しているようにしか聞こえない。

一人でいる間、自分は三蔵のことばかり考えていた。
その頃、三蔵も自分のことを思い出してくれたのだと思うと、は嬉しかった。

……たまには一人ずつでいるのも悪くないね……

end

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