独占欲
読み終わった本をパタンと閉じて、は溜め息をついた。
宿の二人部屋。食事も入浴も済ませた後のゆったりとした時間。
あまり会話はないけれど、お互いに好きなことをしながらまったりと過ごす、こんなひとときがは好きだった。
テーブルの向かいで新聞を広げている三蔵に声をかけてみる。
「ねえ。コーヒーのおかわりいる?」
「いや、もういい」
新聞から目を離さないままの短い返事も、それまでにもう二杯飲んでいることを考えればそれもそうかと納得できる。
自分の分だけ淹れようかとも思ったけど、眠れなくなると困るのでやめた。
何もすることがない退屈に頬杖をついて、目の前の仏頂面を観察する。
眼鏡の奥のアメシストの瞳が綺麗だと改めて思う。
スッと通った鼻筋とか細い顎とかも『整ってるなぁ』と思うし……
額で前髪に見え隠れする真紅のチャクラは『天に選ばれし者――神の座に近き者の証』
初めて四人を見かけた時、これを見つけたから必死で追いかけた……
そんなことを思い出していろいろ考えていたら『死ね』とか『殺すぞ』とか物騒なことを言うかと思えば、心に響くようなことも言ってくれる唇が開いた。
「さっきから何、人のこと見てんだよ?」
「んー、三蔵ってやっぱり三蔵なんだなぁって思って」
「はあ?」
「ほら、今日、あんなことがあったじゃない?」
宿を探して歩いている時だった。お年寄りに声を掛けられたのだ。
『三蔵法師様のご一行ですか?』と。
三蔵は『人違いだ』と言ったけれど、格好を見れば僧侶であることは明らかだし、歩きながらの会話の中で『三蔵』と呼んだりしていたので、到底、誤魔化せるはずもなかった。
騒ぎになるのは避けたいし、それで妖怪を呼び寄せることになったら面倒だと内心困っていたら、そのお年寄りは三蔵の返事から『お忍びなのですね。他言は致しません』などと解釈してくれた。
そして『そのお姿を拝見できただけで光栄です』と有難がり、見送りながら手を合わせて拝んでいたのだった……
「信仰心の厚い人には特別なんだろうなって……」
「……面倒なだけだ」
「本当に面倒くさそうに言うね」
そう笑いながら、は内心少し複雑だった。
最高僧の『三蔵法師』で、大きなお寺のトップで……
いろいろなお寺を訪ねながら旅をしていたので、も噂を聞いたことくらいあるのだ。
桃源郷東方一を誇る大寺院、格式が高く、一般人の立ち入りも許されない慶雲院の総責任者。
それが玄奘三蔵。
今も重要な使命があって旅をしていて、悟空も八戒も、普段仲が良さそうにには見えない悟浄も、三蔵を大事に思っていることは知っている。
独り占めしたいなんて思っても、できるわけなんかなくて、今日みたいなことがあったりして、三蔵の立場を思い知らされたりすると、すごく遠い人に思えてきたりする。
(ちょっと寂しい……なんて思うのは我侭なのかな?)
『一緒にいられるだけで嬉しい』というのも本心だけど、どうしても欲張りたくなってしまうのは人間の悲しい性だと思う。
つい考え込んでいたら、バサッと折りたたんだ新聞で軽く頭をはたかれた。
暗くなりそうな思考から現実に引き戻してくれた三蔵の眼鏡を外した眉間には少し皺が寄っている。
「また何かくだらねえことに頭回してねえか?」
「なんで?」
「すげえ変な顔してたぞ」
『変な顔』……しかも『すげえ』付きとは失礼な! と思ったが、三蔵に話すと『くだらねえ』と一蹴されそうなことを考えていたのは事実。
気づいてもらえたのが嬉しかった。
「そう? 三蔵のこと考えてたんだけど」
「俺のこと?」
訝しそうに訊いてきた三蔵に
「うん。だから変な顔してたっていうのなら三蔵のせいよ」
と、ささやかなお返しのセリフを言いながら、なんだか顔は笑ってしまっていた。
「勝手に人のせいにしてんじゃねえよ! ……まあいい、もう寝るぞ」
「はーい」
返事をしながら立ち上がり、使っていたカップを片付ける。
部屋の灯りを消してベッドに入ると、当たり前のように、三蔵が同じベッドの中に入り込んできた。
「あのぉー、この部屋にはちゃんともう一つ、ベッドがあるんですけど?」
一応、言ってみたけれど
「必要ない」
あっさりと返された。
「そうだろう? 違うか?」
と、耳元で言われた時にはもう、三蔵の手はパジャマがわりのシャツの裾から中に侵入していて……
「うん……いらないね……」
そう頷きながら目を閉じる。
キスを受けながら、この少し厚めの唇が、触れてくる時はとても優しいことを知っているのは自分だけであって欲しいと願った。
肩書きとか、責任とか、三蔵は『三蔵法師』である限りいろんな物を背負っているけど、私は、三蔵が『三蔵法師』じゃなくたって好きだから……
だから、今は……
こうやって、法衣を脱いでベッドの中で愛し合ってる間だけは、『私だけの三蔵だ』って、独り占めしてもいいよね?
end