泣く

その時、悟空は退屈な気分で窓からの景色を眺めていた。

さっきまでは植え込みのそばで繰り広げられていた蛙のケンカを見物していたのだけど、一匹が逃げ出して終ってしまい、ささやかな暇つぶしもなくなってしまった。
今は降り続ける雨が庭を濡らしているだけだ。

昨日はいい天気だったのに、今朝は曇っていて、午後から降り始めた。

自分は雨が降ったからといって、三蔵みたいに機嫌が悪くなったり、八戒みたいに古傷が疼いたりなんてしないけれど、外に遊びに行けない分、ヒマをもてあましてしまう。
しかも、この宿では全員が一人部屋だから、余計に手持ち無沙汰だった。

(腹、減ったなぁ……)

思った途端に腹の虫が鳴いた。

(八戒になんか、おやつもらってこよ!)

少なくとも何かを食べている間は退屈しない。
悟空は元気に部屋を飛び出した。

数分後、悟空は八戒に貰ったお菓子を手にの部屋を訪ねた。
にも持って行ってくれと頼まれたのだ。

悟空が手にしたトレイの上には和菓子が乗っている。
上生菓子と呼ばれるものだと八戒が教えてくれたそれは、確かにが見たら喜びそうだ。

、いるー?」

ノックをしながら声を掛けると、中から『はーい』と返事が聞こえて、ドアが開いた。

「これ、八戒が持ってけって」

悟空がトレイを持ち上げて見せた和菓子に

「うわぁ! 可愛い!」

は声のトーンをあげた。

「入って。お茶淹れるから、一緒に食べよ?」

「うん!」

部屋に置いてあった湯呑みに悟空の分のお茶を淹れてくれたは、自分の分は、いつも荷物に入れて持ち運んでいるマグカップに注いで、テーブルに座った。

「なんだか食べるのが勿体無い気がするね」

がそう言うのもわかる気がするお菓子は、賽の目に切った寒天――色はついているけれど透き通っている――を、白餡のまわりにくっつけて、あじさいの花をかたどっている。
たぶん、味は同じなのだろうけれど、ピンク系のものと紫系のもの、二種類あるのは作った人の拘りだと思うし、それを両方買ってきたのは八戒もどちらかを選ぶことが難しかったからだろう。

「うん、キレイだよな」

しばらく目で楽しむだけにしながら、とりとめのない話をしていて、悟空は気付いた。

八戒が今日のおやつにこのお菓子を選んだ理由と、それを自分にことづけた理由に。

この町に着いてすぐ昔の知り合いに会った三蔵は、その人に頼まれて、その人の実家であるお寺の法要に出席することになり、自分たちとは別行動をとっている。

その法要は今日で終るはずだけど、三蔵がいないためにが寂しがっていることは自分にもわかる。

だから、少しでも元気を出して欲しくて、甘くてキレイなこの和菓子を買ってきたのだ。

でも、それを八戒が持って行けば、は気を遣われていることに気付いてしまうだろう。
自分の食い意地が、いいカムフラージュになっているのだ。
だとしたら、自分はいつも通りでなくちゃいけない。

「う〜、でも、やっぱ、食いたいかも……」

悟空が言うと、は笑った。

「そうね。食べないと、もっと、勿体無いよね」

も同意してくれたのでやっと食べることが出来たあじさいは、上品な甘さでとても美味しかった。

二杯目のお茶もほぼ飲み終えて、悟空が、そろそろ腰を上げた方がいいのかなと思い始めた頃だった。

急に雨の音が激しくなって、二人同時に首を動かした。
それぞれに視線を向けた窓は叩きつけるような雨にガラスを洗われている。

「うわー……」

「すごい降りになってきたね……」

雨の様子を見ながら二人が呟いた時――

窓の外がピカッと光り、次の瞬間、ドドーンというような轟音が窓ガラスを震わせた。

「――っ!!」

詰まった、声にならない悲鳴をあげたはイスに座ったまま、両手で耳を塞いで身体を縮こまらせている。

正直、悟空も音の大きさには驚いたのだ。
のこの反応は当然だった。

恐らくは近隣の住人の全てを驚かせただろうと思われる雷は最初の一つ以降もゴロゴロバリバリと鳴り続けている。

悟空はの傍まで行って、声を掛けた。

、大丈夫だって!」

大きめの声を出したつもりだったけれど、の耳には入っていないらしい。
は目を閉じ耳も塞いだまま縮こまらせた身体を震わせている。

「怖がんなくていいから! 俺、止むまでここにいるから!」

悟空がの顔をのぞきこむように身体を屈めて、震えているその肩に手を置きながら言うと、は小さく頷いた。

悟空は少しでもの気が紛れるようにと、あやすようにの背中を撫でたが、

「やだ……雷なんてキライ……やだ……大っキライ……」

などと呟き続けている。

その声がだんだん湿り気を帯びてきて、悟空は慌てた。

「おい! 、泣くなよ!」

「だって……雷なんか大きらいなんだもんっ!」

理由になっているのかいないのか、よくわからない返事をしたは、ついにぽろぽろと涙を零し始めた。

口から出かけた『泣かないでくれ』という言葉を悟空が呑み込んだのは、の小さな――全部は聞き取れないほどの小さな――呟きが聞こえたから。

「……んぞ……」

聞こえたのはそれだけだったけれど、なんと言ったのかはわかる。

そして、が泣いている本当の理由も、なんとなくわかってしまった。

きっと、は、この三日間ずっと、泣きたいくらい寂しかったのだ。

三蔵が、いないから。

たぶん雷はきっかけに過ぎない。

寂しい気持ちや会いたいという願い、三蔵への思いが、今、を泣かせている……

(……泣き止ませるのは、俺じゃ、無理だな……)

今の自分ではどんなに頑張っても三蔵の代わりにはなれない。

「泣くなよ……が泣くと、俺まで泣きたくなってくるだろ?」

そう声を掛けながら、悟空は、何もできない自分が情けなくて、一方通行の思いが切なくて、なんだか本当に泣きたい気分になってきていた。

――泣かないでくれよ。このままじゃ、本当に俺も泣くぞ?――

end

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