居場所

辿り着いた小さな町の中をは人を捜してキョロキョロと辺りを見回しながら足早に歩いていた。

少し前、買い物から宿に戻ったが、出る前に洗って干していた洗濯物の様子を見に行った時のことだ。

洗濯物は掛けていた物干し竿ごと地面に落ちて汚れ、宿の奥さんがそれを拾いながら傍に居る男の子を叱っていた。

話を聞くと『息子がわざと落とす現場を目撃し、止めようとしたが間に合わなかった』とのこと。
奥さんは『こちらで洗いなおしてアイロンをかけます』と丁寧に謝罪をしてくれたが、男の子はずっとふて腐れたように黙っているままで、は少なからずショックだった。

洗濯をしている間、その子は『ボクは六才なんだ』とか『なぞなぞしよ?』とか人懐っこくいろいろとに話し掛けてきて、楽しく過ごしていたのだ。

母親に『あなたもちゃんと謝りなさい』と叱責された男の子は一言『やだ!』と言って飛び出して行ってしまい、そのことをまた謝る母親と少し話をした後では宿を出た。
母親は気にしないでくれと言ったが、自分も無関係ではないので気になって捜しに行くことにしたのだ。

宿を探したり買出しに出たりはしたものの初めて来た町だ。
勘だけを頼りに、その行動範囲すら知らない子供を捜すのは無理な話かもしれなかったが、は放ってはおけなかった。

母親は、『このところ、あの子は悪戯が酷くて手に負えないのだ』と顔を曇らせていたが、は子守のバイトの経験から、その原因に思い当たることがあった。
何かできることがあるならなんとかしてやりたかった。

(あっ! いた!)

少し前のお店のショーウィンドウを見ている小さな横顔を見つけた。
もう少し距離をつめてから声を掛けようと、そっと近づいていたのに……

カラーン!

うっかり路上に転がっていた空き缶を蹴ってしまった。
見失わないように男の子から視線を外さないままでいたことが仇になってのドジだった。

その音でこちらを向いた子供はに気付いてハッとしたような表情を浮かべ、走り出した。

「待って!」

も後を追って駆け出す。
でも、男の子は捕まったら叱られるとでも思っているのだろう。
途中で人にぶつかって転んでもすぐに起き上がって、また走り出してしまった。

疲れて速度が落ちた男の子にやっと追いついて捕まえた時はの息もすっかりあがってしまっていた。

それでも逃げようとする男の子を『怒ったりはしないから』『少しお話したいだけだから』となんとかなだめ、近くの店の軒先にあったベンチに二人で落ち着いた。

「はい。走ったから喉乾いたでしょ? どうぞ」

そこにあった自動販売機でジュースを買って渡してやると、男の子は受け取って

「……ありがとう」

小さな声だったけれどちゃんとお礼を言い、はその隣に座って自分の分の缶ジュースのタブを起こした。

「お母さん、困ってたよ。この頃、君が悪戯ばっかりするって」

そう切り出したら男の子は黙って俯いた。
返事はなかったけれど、良くないことをしているという自覚はあるようだ。
は話を続けた。

「君の気持ちはなんとなく想像できるよ……寂しいんだよね?」

ズバリと言ってやると男の子は少し驚いたような顔でを見つめた。
どうやら当たっているらしい。

庭で母親から聞いた話によると、男の子には少し前に弟が生まれている。
それ以前も家業で忙しい母親に甘えられる時間は限られていただろうに、赤ん坊が生まれたならその時間が更に短くなるのは確実。
そういう場合、上の子が親の気を引こうと、多少困った言動をしてしまうことはよくあることだ。

今日のことは……
寂しい時に相手をしてくれたも、洗濯が済むと買い物に行くからと、まだ遊んで欲しそうだった男の子を置いて行ってしまった。
その寂しさや悲しさをああいう形でしか表せなかった……と、いうことだろう。

寂しいから、もっと自分を見て欲しくて、悪戯をしてしまう。
それがいけないことだというのもわかっているけれど、そういう方法での意思表示しかできなくて、そのジレンマに苦しんでいる……
の目にはそう見えていた。

男の子の眉がしかめられ口がへの字に曲がり、が『あ! 泣かせちゃう!』と思ったその瞬間、

「おい、そこのボウズ」

誰かにそう声を掛けられ、それを合図にしたように男の子は泣き出してしまった。

「え? お、おい?」

声を掛けた人物が慌てた声をあげる。

「ごめん、ごめん。私が余計なこと言っちゃったね」

と謝りながら男の子の肩を抱いてあやし、目の前に立っている人物を見上げた。

その人はさっき逃げている途中で男の子がぶつかった相手だった。
旅人のようだが、わけがわからず戸惑っているというか、自分が泣かせてしまったのかと心配しているというか、多少おろおろとしてしまっている。

「すみません、あなたのせいじゃないんです。
落ち着くまで少し待ってやってもらえますか?」

が言うと、その人はホッとしたようにため息をついた。

「いやぁ、このナリだからよ。怖がらせたかと焦っちまったぜ」

やれやれという感じで言うその人の言葉を聞きながら、は、失礼だけれど『……確かに……』と思ってしまった。

悟浄よりも背が高いと思われるその人は、頭からすっぽりローブを被っている。
手には革の手袋、短髪なのに額にバンダナ、鼻に大きな絆創膏。
怪しいと言えば怪しい風貌だった。

でも、その大きな身体から発せられる低い声には温かみがある。
男の子が泣き出した時の反応からも人の好さが窺えた。
何かこの子に用があるらしいが、ぶつかった事を叱りにきたわけではなさそうだ。

「小さいなりにもいろいろ我慢したり、苦しんだりしてることがあるようで、ちょっと気持ちが不安定になってるみたいで……」

まだ泣いている小さな身体を撫でてやりながらがそう説明すると、その人は

「泣くな、男だろ?」

と言いながら、男の子の前にしゃがみこんだ。
その声も、男の子の頭を撫でる大きな手も優しかった。

「ほら、これ、ボウズのだろ?」

そう差し出された小さな紙袋を見て、やっと、男の子は泣き止んだ。

「ぶつかった時、落としてっただろ?」

「……ありがと……」

男の子がクスンと鼻をすすりながら受け取ったそれには赤いクレヨンでリボンの絵が描いてある。
裏側には鉛筆で『おにいちゃんより』とも書いてあった。

「弟くんへのプレゼント?」

が訊くと男の子はコクリと頷いて、ポツポツと喋りだした。

弟が生まれて嬉しかったこと。一緒に遊べると楽しみにしていたこと。
でも、寝てばかりでつまらなくて、母親も弟にかかりきりで寂しかったこと。
だから、つい悪戯をしてしまうこと。
これは驚かせて泣かせてしまった弟へのお詫びのプレゼントであること……

やはり子供なりにいろいろと悩んで考えていたらしい。
様々な感情が入り混じってその小さな胸は張り裂けそうだったに違いない。
寂しい気持ちをわかってもらえて、それまで堪えていたものが溢れてしまった、その涙だったのだろう。

「なあ、弟は可愛いか?」

用事は済んだだろうにその場にとどまって男の子の話を聞いていた旅人が、男の子に訊ね、『うん』と、はっきり頷いた笑顔に目を細めた。

「いいか? ボウズ。
兄弟っていっても、いつかはそれぞれ進む道が別れちまうもんだ。
だから、それまではできるだけ一緒にいろよ。わかるか?」

「……よくわかんない」

「ハハッ! そうだな、簡単に言やぁ、『仲良くして可愛がってやれ』ってことだ」

「うん!」

「今、私たちに言ったことをお母さんにも言ってごらん。
きっとわかってくれるよ」

「うん……お姉ちゃん、さっきはごめんなさい」

そんなふうに話していると、母親が男の子を迎えに来て、戻る場所は二人と同じだったけれどはその場に残った。
今は、親子水入らずにしてあげた方がいいと思ったからだ。

母と子は手を繋いで何か話をしながら帰っていく。
あの様子なら多分もう大丈夫だろう。

それからは、まだいてくれた人に頭を下げた。

「付き合わせてしまってすみませんでした」

「いや。まあ、こっちも乗りかかった船だったし、気にしないでくれ」

そう言って許してくれたその人は『あ、そうだ』と何かを思いついて言葉を続けてきた。

「なんか土産にいい美味い食い物があったら教えてくれないか?」

訊かれて思い当たったのは、買出し中に話を聞いても気になっていたここの名物だという角煮饅頭。

この町の土地勘も男の子を捜している間にある程度できているし、
宿への帰り道になることもあって、は店への案内を申し出た。

「ご兄弟がいらっしゃるんですか?」

一緒に歩き出して、黙ったままでいるのもなんだしと思ったがそう話し掛けてみると、その人は

「ああ、弟がいるけど?」

と、気さくにこたえてくれた。

「さっき、あの子におっしゃってたことが、すごく説得力あったから」

「まあ、俺は、まだガキだった弟を置いて家を出ちまったから偉そうなこと言えた義理じゃねえんだが、つい、な……」

「でも、一緒にいる間はいいお兄さんだったんじゃないんですか?」

たまたまぶつかっただけの子供の落し物をわざわざ届けてくれたような人だ。
あの子に話していた言葉にも温かみと実感があった。
きっと弟思いのお兄さんだったんだろうとには思えた。

「どうだろうなあ……」

その返事は謙遜しているようにも自嘲しているようにもとれた。

「私は末っ子だから妹としての立場しかわからないんですけど、兄の存在はとても大きくて……
会えなくなってしまってすらもずっと、兄に教えてもらった事や、可愛がってもらった記憶が私を支えてくれました。
上の兄弟って、下への影響力がすごいんですよ」

「……兄さんには会えないのか?」

「ええ……もう二度と……」

「そうか……悪い事、聞いちまったな」

「いいえ。兄のことを人に自慢できるのは嬉しいから、いいんです」

「……あいつが俺のことをどう思ってるかなんて、わからねえけどな……」

そう前置きのように言って続けたその人の話を、は黙って聞いていた。
人それぞれに兄弟の形というものがあるのだと、胸に染みる話だった。

目当ての店で銘銘、饅頭を買い、互いに礼を言って別れ、一人で宿に向かいながら、はさっきのあの人の話を思い返した。

『今は俺にも弟にもそれぞれの居場所がある。
なんの因果か、まったく正反対の立場になっちまったがな。
でも、それぞれ、てめぇの信じる道を歩いてる。
あいつも俺も、てめぇで決めた生き様は譲れねえタチなんだ。
一別以来で再会した時はイイ顔してやがったし、それが見れただけで十分だ』

『正反対の立場』というのがどういうものかはわからないけれど、それが敵対しているという意味なら切ないけれど、弟さんの気持ちを知る術などないけれど、それでも、兄弟がそれぞれ歩んでいる道を互いに認め合い、その上で自分の決めたことを貫こうとしているのなら、とても素晴らしいことではないかと思えた。

(『それぞれの居場所』か……)

自分のことにもいろいろと思いを巡らせているうちに宿に着いた。

部屋に戻ると、は賑やかな声に包まれた。

「おかえりなさい。遅いから心配してたんですよ」

「つーか、お前がいねーと誰かさんの機嫌が悪くてよ」

「うるさい、黙れ!」

「あっ! なんか美味そうないい匂いがするー!」

「キュ〜!」

家族と同じくらい大切な人たちの中で、はしみじみとその実感を噛み締めた。

兄や母と暮らしていた場所からは遠く離れてしまったけれど、そこには二度と戻れないけれど……

自分の居場所は、ここにある――

? どうかしましたか?」

「ううん、なんでもない。これ買ってきたの。皆で食べようと思って」

饅頭を出して、お茶を淹れながら、の胸は温かな倖せで満たされていた。

が騒がしくも楽しい夜を過ごしている頃、男は土産の饅頭を持って自分の居場所へと戻っていた。

ローブを脱いだ頭には尖った耳。
外したバンダナと剥がした絆創膏の下の皮膚には文様状の痣。

男は戦友であり家族である仲間たちに調査の結果を伝えた。

「結局、あの情報はハズレだったな。
経文はあるにはあったけどよ、古いだけの普通の経ばかりだったぞ」

男――独角は主君のもとに届けられた『廃寺に天地開元経文でないかと思われる古い経文がある』という情報を確かめに行ったのだった。

「そうですか……やはり、そう簡単に見つかるものではないでしょうね」

「無駄足を踏ませて悪かったな」

「いや、その代わりと言っちゃなんだが、一つ、土産話があるぜ」

「なになにー?」

李厘が土産の饅頭を早速パクつきながら興味津々で訊いてきて、独角は報告を続けた。

独角の報告――
・「三蔵一行に新たに加わった人間がいる」という話を聞いた。
・半信半疑だったが近くだったこともあって、三蔵一行の足取りを追ってみた。
・自分の目で姿を確認することはできなかったが、宿では五人分の部屋をとっていた。
・他の目撃証言からも三蔵一行が五人になったというのは確か。
・しかも、それが女であることも確実。

紅孩児にとっても八百鼡にとっても李厘にでさえ、意外で有り得ない話だったが、独角自身が確かめてきた話なので、最終的には事実と受け取った。

まさか、一緒に饅頭屋に行った女がそうだとは思いもよらない独角だったが、それはも同じだった。

自分の居場所を再確認するきっかけとなった話をしてくれた人の弟と自分が、今、一緒にいるなんて、わかるはずもなかった。

偶然か、必然か、誰もそうとは知らないまま、運命の悪戯のような出来事のあった日の夜。

兄、弟、妹……兄弟がいる者もいない者も、それぞれがそれぞれの居場所で、仲間たちと共に笑っていた。

end

Postscript

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