別れ
途中で雨に降られたりしながら三日続いた野宿にうんざりして、多少ルートを外れることを承知で訪れた小さな町は、一行を少々戸惑わせた。
午後の日差しの中、宿を探しながら買出しもしているのだが、やたらと人々の視線が集まっているのだ。
「……なんか、居心地悪いっていうか、変に緊張しちゃうね」
「いろんな意味で目立つ集団なんだろうとは思いますが……
ここまでジロジロ見られるのは初めてですね」
「『余所者』が珍しいんだろ」
「つーか、ここにこんだけのイイ男がいんだから当然っちゃ当然?」
「見られんのなんかどうでもいいけど、腹減ったぁっ!!」
「ずっと野宿で携帯食ばっかりだったもんね」
「って、オイ! スルーかよ!? お前らっ!」
「あ、ここが宿屋みたいですね。入りますよ」
「スルーかよっ!?」
「悟浄、うるさい。空きっ腹に響くじゃん」
「バカは放っとけ」
入ったのは宿というよりも少し大きな民家という感じだった。
応対をしてくれたおかみさんにそれとなく訊いてみると、街道からは外れているこの町は南側に広がる樹海のせいもあって陸の孤島となっており、最近まで馴染みの商人以外の人間が入ってくることはあまり無かったそうだ。
妖怪が暴走を始めて以降、街道に妖怪の盗賊が現れるようになったので、それを避ける為に遠回りする旅人がやってくるようになったがそれも時たまで、やはりまだ外部の人間は珍しいらしい。
この宿もそういう旅人の為に始めたもので、特に儲けるつもりもなく、半分趣味でやっているようなものだ、と、恰幅が良く人も良さそうな丸い顔が笑った。
通された大部屋で、淹れてもらった茶を飲んで、やっと気分が落ち着いた。
「あんなに見られんのも初めてだったけどさ、こんなのんびりしてる町も旅に出て初めてじゃねえ?」
「妖怪に対する警戒心もあんまりねえみてーだしな」
街道から外れていることと、慣れない者が案内者なしに入ればまず迷うという樹海が幸いして、今まで妖怪の襲撃を受けたことはないという話だった。
しかし、だからこそ……
「明日は早いうちに出発するぞ」
「ええ、あまり長居はしない方がいいでしょう」
街道に出没するという妖怪たちに一行の情報が入っていないとは限らない。
経文や賞金を狙っての襲撃があった場合、この無防備な町の被害は甚大なものになってしまう。
更にこの立地条件では復旧も難しいだろう。
災いの種となる前に早々に立ち去った方がいい。
「おい、さっきから黙りこくって、何か気になることでもあるのか?」
に目を向けた三蔵の言葉に他の三人の視線もに集まったが
「ん……あ、そんなんじゃなくて、なんか、眠くて……」
目を擦りながらのその返事に苦笑が漏れた。
「そりゃ疲れてんだろ。野宿ばっかだったかんな」
「宿に着いて気も緩んだんでしょう」
「ちょっと寝たら? メシの時にはちゃんと起こすからさ」
「うん……ごめん。そうさせてもらうね」
「じゃあ、僕たちは買出しの続きに行きますから。
悟空、悟浄、一緒に来てください」
三人が出掛けて静かになった部屋ではベッドに横になった。
夕食の時間までの短い睡眠のつもりだった。
誰かが起こしてくれると思っていた。
ふと、目を覚まして、寝起きのぼんやりした頭でも、はその不思議さに気付いた。
部屋の中が明るい。
電気の灯りではない。日差しの明るさだ。
よほどのいい天気なのか、なんだかやけに暑い。
(あれ……?)
首だけ動かして周りを見ても誰もいない。
時計を見て、自分が結局、朝まで眠ってしまっていたことを知った。
我慢できないほどではないが、ズキズキと頭が痛い。
起き上がろうとしても身体が重い。
上げようとした頭を枕に戻したら水の音がした。
見るとそこにあったのは、氷も溶けてすっかりぬるくなってしまった水枕。
それでやっと、自分が熱を出してしまったのだと、「暑い」のではなく「熱い」のだということに気付いた。
(だから、皆、寝せといてくれたんだ……)
誰もいないのは、時間からして朝食にでも行っているのだろう。
自分は食欲もないし、起き上がる気にもなれないから、まあいいか。
まだこの時はそんなふうに思っていた。
しかし……
いくらなんでも変だと思って、が身体を起こしたのは、それから二時間後だった。
クラクラする頭とだるい身体を引きずりながら部屋を出たが、宿の人に訊いてもチェックアウトはしていないという事以外、何もわからなかった。
どこかで何かトラブルにでも巻き込まれてしまっているのだろうか?
心配しながら部屋に戻って、一つ、気付いた。
(……荷物がない……)
昨日、買出しで揃えたものや他の荷物が見当たらない。
いつもなら、一つにまとめられた荷物が八戒のベッドの近くに置いてあるのだが、それがない。
(……どういうこと?)
絶対に認めたくない考えが浮かんで、ドクンと心拍数が上がった。
倒れこんだベッドの上で、必死でそれを打ち消した。
――そんなことない! 皆はそんなこと絶対しない!! ――
しかし、誰も戻って来ないまま、時間だけが過ぎていく。
その間にまた熱は上がってしまっているようだ。
熱くて、苦しい。
でも身体以上に気持ちの方が苦しかった。
何故、誰もいないのか……?
何故、自分は一人でここにいるのか……?
「……本当に、置いて行かれちゃったの……?」
一度は打ち消したはずの考えが、知らず知らずのうちに呟きとして漏れて、同時に涙がこぼれた。
早く出発しようって言ってたのに、熱なんか出しちゃったから?
それとも、わけのわからない力を持ってしまったから?
やっぱり、足手まといだった?
体調が悪いせいかネガティブな考えばかりが浮かぶ。
(なんで、こんなに、いきなり……?)
家族との別れも、普通の生活との別れも突然だった。
一人で故郷の村を出て以来、サイクルの短い出会いと別れを数え切れないくらい繰り返してきた。
そして出会った四人。
一度は覚悟した別れだったはず。
しかし、自分の中での四人の存在はあの頃の何十倍にも大きくなっている。
こんな突然に、こんな形での別れがやってくるなんて…………
(熱にうかされて見てる悪い夢ならいいのに……)
そう願ってつねってみた頬が痛い。
一度溢れ出した涙は止まらなくて、悲しいのか寂しいのか辛いのか、自分の気持ちもよくわからなくて、ただ、泣けて泣けて……
ずっとベッドに横たわったまま、何をする気にも、何を考える気にもなれなかった。
いつ涙が止まったのかなんてことにも気付かずに、ただぼんやりと時を過ごしていた。
だから……
いきなり部屋のドアが開いてその姿が見えた時は、それこそ都合の良い夢かと思ってしまった。
「ただいま〜!! あー、腹減ったーっ!」
「あ゛ー、もう、二度と行かねーぞ、あんなトコ!!」
「次があれば目印にパンの屑でも撒きながら行かなきゃですかね」
「無意味だな。撒いてく端から食っちまう猿がいる」
悟空を先頭に、ゾロゾロと部屋に入ってくる四人はいつも通りで、ゆっくりと身体を起こしながらは白昼夢でも見ているような気分だった。
「どこに……行ってた‥の?」
問いかける自分の声もどこか遠くで響いているような不思議な感覚だ。
「ああ、すみません。実はですね、昨夜、夜中に大量の妖気を感じまして」
「お前は熱出して寝てっし、やーっぱ、街中で暴れんのはマズイだろってことでさ」
「じゃあ、こっちから行ってやろうじゃん、って出てったんだけど、それがスゲェ、森ん中!」
「『森』じゃねえ。『樹海』だ」
「つまり、妖怪の一団とぶつかって、戦闘が始まったのが樹海の中だったんです」
「で、妖怪の方は楽勝だったんだケドよ」
「暗〜い中で、帰り道がわかんなくなっちゃってさ。もう酷ェめにあった!」
「てめェが勝手にあちこち走り回ったからだろうが! バカ猿!」
「まあ、誰のせいとは言いませんが、すっかり道に迷ってしまって……」
「いくら歩いても見えんのは木ィばっかで、うんざりだったわ」
「朝飯も食ってないしさあ。腹減って死ぬかと思った」
「……お前は一度死んどけ」
口々に賑やかに行われる報告の言葉はの耳に入ってくる。
しかし、まだ実感はできないでいた。
「……もっと早く戻るつもりだったんだけどよ」
「遅くなってゴメンな」
「熱は下がりましたか?」
熱のせいか大きな感情の起伏があったせいか頭がぼんやりして、はすぐには返事ができなかった。
「何、呆けてやがる?」
「キュウ?」
八戒の肩からのベッドの上に飛んできたジープにペロッと頬を舐められて、やっと、は四人が目の前にいるということを現実として理解出来てきた。
「あー、ひょっとして、置いて行かれたとでも思っちゃった?」
「……ちょっとだけ……」
「嫌ですね。そんなことあるわけないじゃありませんか」
「だって……荷物もなかったし……」
「荷物がないだと?」
「ああ、ここ。このベッドと壁の間にありますよ」
「なんで今日に限ってそんなトコに隠してんだよ?」
「別に隠してなんてませんよ。
昨日はいつもみたいに、ちゃんとわかる所に置いてたんですよ?」
「あ、そういや俺、夜中に部屋出る時、何か蹴った気がする」
「お前の仕業か!?」
「だって、急いでたし、を起こさないようにって灯りもつけてなくて暗かったじゃん!」
「……ハハッ」
すべての疑問が解けて、なんだ、そんなことだったのかとホッとしたの口からは笑い声が漏れ始めた。
「フフフッ、ハハハッ、アハハハッ……」
いきなり笑い出したに四人の視線が集まる。
「えっ!?」
「おい……」
「?」
悟空と悟浄と八戒は内心うろたえ、三蔵はため息をついた。
「……笑うのか泣くのかどっちかにしろ」
は、ぽろぽろ涙を流してくしゃくしゃになった泣き笑いの顔になっていた。
「だって……だってぇ……っ」
しゃくりあげるには心配したのだとか、不安だったのだとか、だから安心したのだとか、言いたいことはあったのだけれど、言葉にはならなかった。
そして――
ふっと泣き声が止んだと思ったら、座り込んでいたの身体がベッドの上にコテンと転がって、四人は唖然とした。
「……? 寝たの?」
「……泣き疲れた…とか?」
「疲れるってほどは泣いてないでしょう。気が緩んだんですかね?」
三人が呆気にとられている間に、の額に手を当てた三蔵が小さく舌打ちをした。
「コイツ、全然、熱、下がってねえぞ」
「「「 それだ!! 」」」
ぼんやりした意識の中でにも四人の会話は聞こえていたが、もう、言い返す気力は残っていなかった。
(……誰のせいだと思ってるのよ……)
一度、少しは下がっていた熱がまた上がってしまったのは……
姿が見えないだけで、あんなに動揺してしまったのは……
(……全部、皆のせいなんだから……)
だから、責任はとってもらわないと。
――ずっと傍にくっついて、絶対、離れてなんてやらないんだから! ――
end