匂い

ズキンズキンと鈍く響く頭の痛みに悟空は目を覚ました。

開いた目に飛び込んできたのは心配そうなの顔だった。

「気が付いた?」

「あれ? 俺……?」

さっきまで外にいたはずだけど……と悟空は記憶を辿った。

一日では山を越えられなくて、見つけた洞穴で野宿をすることになって、自分は何か食べられそうなものはないかと辺りをうろついて……
そう、果物の生ってる木を見つけて登ったのだ。

大喜びで果物をもいで、それから……?
何故、今、自分はあの洞穴の中で横になっているのだろう?

考えている悟空に

「私が誰かわかる? 自分の名前と誕生日、言ってみて?」

と、おかしなことを訊いていた。

だろ? なんで? 俺は孫悟空、誕生日は四月五日……」

不思議に思いつつも答えると、はホッとしたような表情を浮かべた。

「良かった! 意識ははっきりしてるみたいね」

「だから、なんで?」

「覚えてないの?
悟空、木から落ちて、頭を打って、今まで気を失ってたのよ?」

言われて、悟空は思い出した。

足をかけていた枝が折れて、でも、果物を抱えてたからうまく体勢をとれなくて、それで、そのまま落ちてしまったのだ。

「あー! あの果物は!? すっげえ美味そうだったのに!!」

言いながら起き上がろうとしたら

「ちゃんと持って来てるから! 大人しく寝てて!」

強い口調と共に押さえつけられた。

「もう少し安静にしてて! 頭を打って、しばらく意識がなかったのよ!?」

確かに、起き上がろうとしたせいか少しクラクラする。

「八戒は『脳震盪を起こしただけでしょう』って言ってたけど……
大丈夫? 気分が悪いとか、吐き気がするとかない?」

はひたすらに悟空のことを心配してくれていた。

「うん、別に平気……」

答えたところで、悟空は側頭部の冷たい感覚に気付いた。

「あれ? 頭……?」

「ここんとこ、大きなこぶが出来てるの」

そのこぶがあるという部分に、が濡らしたタオルを当てて冷やしてくれていた。

「あ、いいよ。自分でやるよ……
、メシの支度とかあるだろ? 行っていいよ。」

「そう?」

不安げな声で訊くに悟空は言った。

「うん。俺、大人しく寝てるから」

自分では平気なつもりなので、あまり傍で心配そうにされると申し訳なくなってくる。

大したケガはしてないし、木から落ちたのは自分のドジだ。
自分がしくじったのだから、迷惑はかけられない。
事実、以外の三人には放っておかれている。

「もし、少しでも変だなって思うことがあったらちゃんと言うのよ?」

はそういい残して、洞穴から出て行った。

悟空はしばらく、ぼんやりとタオルを押さえていたけれど、面倒になってきて横臥した。

横を向いてタオルを乗せておけばわざわざ押さえなくてもいい。

腹のあたりまで掛けてあった毛布を引っ張って掛けなおすと、ふわりといい匂いがした。

(あ……の匂いだ……)

この毛布は普段、野宿をする時にが使っている。
それで香りが移っていたのだ。

っていい匂いするんだよな……)

洗濯に使う洗剤も同じだし、同じ宿に泊まって、同じ石鹸やシャプーを使っているはずなのに、何故か、だけが特にいい匂いがする。

(それって女の人だからかな?)

野宿の時にでもは甘い匂いがするのだ。

八戒は気をつけているのか、服についている洗剤の匂いくらいしかしないけど、喫煙者の二人はいつもタバコの臭いがするし、三蔵はそれに硝煙の臭いも混じる。

男ばかりで旅をしていた頃は、感覚が麻痺していたのか気付かなかったけれど、『自分は臭くないかな?』と、心配になることがある。

(あ、でも……)

時々、にもタバコの臭いが移っている時がある。
宿で三蔵とが一緒に泊まった時なんかはそうだ。

それに、銃は扱わないはずのから硝煙の臭いがして、微妙な気分になった時もある。

二人とも、朝から石鹸の匂いがしてたりなんかして、こっちがなんか恥ずかしくなってしまったことも……

たぶん、その前は無意識のうちに気付かないようにしていたのだろうけれど、二人がそういう関係だと知ってからは、時々、から三蔵を思わせる臭いがしたり、三蔵からの匂いがしたりすることにも気付くようになってしまった。

こうなると、自分の良過ぎる嗅覚が恨めしくなってくる。

今も、風に乗っていろんなにおいが流れてくる。

土のにおい。草木の匂い。燃えている焚き火の臭い。タバコの臭い。取って来た果物の匂い。調理中の食べ物の匂い……

悟空は、それらのにおいや思い出した余計なことを振り払うように、顔の半分まで毛布を被った。

(今だけでいいからさ……)

――今だけでいいから、の匂いに包まれていたい――

食事が出来たら、が呼びに来るだろう。

そうしたら、『美味そうないい匂いー!』とか言いながら起き上がろう。

でも……

それまではこうしていよう。

こうしているとなんだか優しい気持ちになってくる。

今の自分では、三蔵との間に割り込むなんて事はとてもできないけれど、自分のこともはあんなに心配してくれる。

それだけで、悟空はなんとなく満足だった。

外から入ってくる夕食の匂いがだんだん強くなってきて、悟空はの匂いの方に意識を集中させた。

包まった毛布の中で、腹がグーっと鳴ったけれど、それは無視した。

end

Postscript

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