甘い言葉

等間隔に灯された明かりが夜を照らす中、椅子に腰掛け、足を組んだ膝に頬杖をついたその人物は蓮の浮かんだ池を眺めていた。

そこに、やって来た男が声を掛ける。

「ああ、観世音菩薩、こちらにおいででしたか?」

「どうした? こんな時間に」

問い返されて二郎神は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「はい、本日、処理した書類に変更がありまして、再度、目を通していただきたく……」

来訪の理由を述べながら、二郎神は観音の視線の先に気付いた。

「また、看ていらっしゃるんですか?」

「寝付きが悪くてな。暇つぶしさ」

水面に映っているのは、宿で二つの部屋に分かれて、それぞれに時間を過ごしている五人と一匹の様子。

賑やかにカードゲームをする悟空と悟浄に『あまり騒ぐと周りの部屋から苦情が出ますよ?』などと声をかけながら茶をすする八戒と、その横で眠そうにしているジープ。

テーブルに向かいあって座り、めいめい新聞や本を読んでいる三蔵と

平和といえば平和な光景だった。

「丁度いいところに来た。一局、付き合え」

「はっ!? ……はい。では、その前にまず、こちらの書類を――」

「ンなもん、明日でもいーだろうがよー」

心底、面倒そうに言われて、二郎神は来訪の目的を達することを諦めた。
確かに明日でも間に合うし、下手にごり押しして機嫌を損ねると厄介だ。

ため息をつきたい気分を隠しながら、将棋盤と駒を用意した。

「それで、あの者たちの様子はいかがですか?」

パチパチと駒を進めながら、二郎神は世間話感覚で訊いてみた。

「いつも通りさ。アレ以来、特に何も起きてねえしな」

「そうですか。順調に進んでいるのですね」

池の方に視線をやると、どちらの部屋でもそろそろ寝ようとしている様子。
旅の一日の平穏な終わりといった感じだ。

「見てる方としては面白味に欠けるがな」

「また、そのような事を……」

「多少の苦難を乗り越えてこその旅だろ?
アイツらの中にゃ楽しみ過ぎな奴もいるしな」

「『楽しみ過ぎ』ですか?」

「見てみろ」

言われて、もう一度、水面を見た二郎神は固まった。

一つの部屋では三人がそれぞれのベッドで眠っていたが、問題はもう一つの部屋の方。

室内に二つあるベッドのうち、使われているのは一つだけで、そこでは俗に言う『愛の営み』が開始されようとしていた。

「な? 楽しんでやがるだろ?」

二郎神が言葉を失っていると、下界の様子は消え、ただの水面に戻る。

「おい、お前の番だぞ? 早く指せ」

「はっ! はい!」

何事もないように急かされて、慌てた二郎神はよく考えないままに次の手を指してしまった。『失敗した』と思ってももう遅い。

それに、それよりも気にしなければならないことができてしまっていた。

「……あの者は、大切な使命を負っての旅の最中だという自覚があるのでしょうか?」

「さあな」

「しかも、仮にも僧籍にある者があのような……」

「別に構わんさ。妻子持ちの坊主なんざ、腐るほどいる」

「しかし……」

「なんだよ?」

「……あの者がそういう特殊な感情を持つとは思えないのですが……」

恋愛感情を伴ってのことならまだしも、単なる性欲処理だとしたら『最高僧、三蔵』の肩書きを持つ人間の行いとしては大問題ではないか――

二郎神は眉をしかめたが、観音は小さくフッと笑った。

「わかってねえな、二郎神。いや、わかりにくいのは奴のせいか」

確かにあの二人は、所謂『恋人同士』が口にするようなことを、互いに言い合うようなことをしない。

だが、ずっと看ていればわかる。

あの連中があの女のことをどれだけ大事にしているか。

あの不機嫌な面をした男がどれだけ――

ただ、それを素直に表せないだけ。

(可愛い奴だよ。まったく……)

「賭けねえか?」

ふと思いついたことに唇の端を持ち上げ、観音は二郎神に持ちかけた。

「は?」

今まででさえ頭痛の種だった破戒僧の更なる問題行動を知ってしまった上、それを面白がっているような観音の態度に本当に頭痛がしてくる思いだった二郎神は、更に唐突に言われて面食らう。

「『賭け』ですか?」

この一局のことだったら、さっきいい加減に指してしまった一手は致命的だ。
恐る恐る確認してみる。

「一体、何を……?」

「この旅が終わるまでの間に、あの朴念仁が、あの女に言うかどうか、さ」

そこで一旦言葉を切った観音はニヤリと笑いながら続けた。

「『好きだ』とか、『愛してる』とか、そういう類の言葉をな」

「はい!?」

二郎神は呆れて開いた口が塞がらない。

(本当に、この方は〜〜!)

一体、どこまで面白がろうというのか。
観音の言動にはその真意を計りかねるものが多すぎる。
『もしかするとこれも何か考えがあってのことだろうか?』と思えるものも多いのだが、今回に限ってはそれもなさそうだ。

二郎神はなんだか本当に頭が痛くなってきてしまった。

二の句を継げないでいると、再び観音が口を開いた。

「王手!」

「あーっ!!」

面食らったり、呆れたりしている間に、しっかり詰められてしまっていた。
やはり敗因はあの一手。

がっくりとうな垂れている二郎神に、観音は更に追い討ちをかける問いかけをした。

「で、お前、どっちに賭ける?」

大きくため息をついた二郎神は、仕方なく考える。

(あの者がそんなことを言うとは……
いや、しかし、万一ということも……だが……)

……三蔵が甘い言葉を口にするかどうかは……

――神様にもわからない。

end

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